目が覚めたら9月でした。

台風が来る間、体調の悪さはマックスになる。暫く薬を飲んでおとなしくしていた。やる気があるとかないとか、関係ない。今日は少し楽になったので起き上がって動き始めている。

こういうときにいつも思うのは、災害は体調の良いときに来るものではないということ。どんなに体調が悪くても、地震は起きるし、台風も来る。以前起きた震災のときには、インフルエンザで咳が続き、長く続いた深い咳のせいであばらにヒビが入ってしまい、息を吸うのも起き上がるのも全て痛みですぐには動けない状況であの大きな地震に遭遇した。逃げようにもすぐに動けないし、防災の準備していてもその荷物を持つことを痛さでためらう。それで災害時はいつもと同じ調子で逃げられないこともあるのを知り、自分より年を取った人や、体の自由が利かない人なんかはこんな感じになるのかと思った。自分も健康でいつも動けるというのではないから、その後も人生生きようと思ったのなら、その自分が生きられる方法を考えておかないと、と思う。世の中で言われている一般的なことばかりに終始して準備していても意味がないのだ。オーダーメイドじゃないとな。

だから、普段から動けるときに動いておく、というのも大事なことなのだ。準備や気になったことに関して、とにかくそのタイミングで動き続ける。そして、動けないときは動けないなりに、どうしたらいいかをひたすら考える。生きるために何に専念するか。今回のようにぐったりしているときは、ひたすら動かないで休養を取り、動けるチャンスを狙うのだって、大事なことだろうと思っている。起きたときに、今やっていることがこの先どうつながっていくのかを見据える。出来ることをやるのだ。雨戸も開けずただ寝ていることすら自分にとって最重要事項で、頭空っぽにして寝ていた。その状態で今回は何事も起こらず、ひとまず良かったと思う。

だからこそ普段から自分にとって、一番最悪かもしれない状態を想像しておくことは必要で、「ああダメだな」という諦めも自分で一度受け入れるようにしている。ダメなことを明確に意識しておくと、それに対して物理的にも心理的にも準備も出来るし、何かのきっかけでダメじゃなくなる可能性を見つけられることもある。誤魔化さず、考えることをやめない。自分のアンテナが引っかかるように、どうダメなのかをずっと意識していくのだ。

まぁ、ダメな人間だけれど根底には生きて行こうとしている気持ちがあるのだよな。これですよ、これ。ダメな人間だから、ではなく、ダメな人間だけれど○○したい、生きたい、っていう思考の癖。いろんな意味で生きるのに不利な弱点をたくさん抱えながらも、自分を今まで生かしているのは、何事にもまず否定的な考え方の癖があるところだと思う。素直じゃないところ。何でもかんでも否定から入ることで、周りの人が素直に物事を飲み込んで行く姿が羨ましかったときがあるが、今はこの思考のおかげで意外と生きてられているのかもと思う。反発ばっかりして、素直さがなく、意固地だと大人に言われたことを思い出すのは容易い。はははは。何が自分の強みになるかなんてわからないものだ。

考えは取っ散らかっていて、整理も出来ていないけれど、何も書かずにはいられないので書いてみた。では今日はこのへんで。