自分に向けて愛情あるたくさんの人に囲まれているとき、たった一人のその相手を選びますか。

台風襲来である。こんなに風が強い、雨が多量に降る台風は、もっとずっと先の未来に来ると思っていたのに、もうすぐそこなのだなぁ。少し前に2100年頃にはには風速100メートルの風が吹く、と言われていたことがあった気がする。コンクリートでガッチガチに固めた家でも壊れそうだ。今生まれた子どもが老人になる頃には、今みたいな風景はとうに無くなっているのだろうということ。自分はすでに亡くなっているはずで、生きていない世界を想像しても、今からどうするのがいいのか切羽詰まらない世代は、若い世代に今ある物事の始末を丸投げで投げやりになりそうだが、こうなってくるとそんな先の未来ではないと思えてくる。ジタバタするか~。そんな感じでいる。一日一日、今日はどう生きたいかと問うしかないのだが。その結果が未来の結果を生んでいく。せめて、誰かから何かを問われたら今思うイエスかノーは言えるくらいにはしていたい。

雨が強い。休暇で一緒にいる家族も、電車が止まってしまうことを考えるとあまりウキウキ外へ出かける予定を立て辛く、家にいることになる。たまたま昨日までは晴れている時間が多くて、急に雨が降っても何とかなっていた。食料品の買い物を済ませ、突如壊れた普段履きのスニーカーの代わりを買いに行き、ひとまず食べる寝るが滞りなく過ごせるように準備した。

けれど、これから台風が長く居座るらしいから、まだ台風が過ぎた後の被害を考えると流通が止まるのも考えて、備蓄品も必要だろうと思うのだが、一番手に入りやすくて保存が利く米が店に並んでいるところが少ない。たまたま店頭に無くなる直前のタイミングで買ったので、自分は困っていないが、空っぽになったタイミングで買いに行った人はかなりの痛手だろう。

ただ、何も食べる物がないわけではないし、値段は張るがパックのご飯も売っている。どうしても「米」が必要という訳ではない人は、代替の食品を買うことで他の困っている人の助けが出来ると思う。目にして手に入れられそうな米が一袋置いてあったとき、自分は本当に必要だろうかと考える。この時期、普段からパスタ好き、パン好きで、もし米を手にする必要がない人は、何が何でもと米買いに走らず、人助けだと思って米以外の自分の好きな食べ物で暮らしてみるのはどうだろう。

ぼちぼち新米も出回り始めているようだ。米はそのうち食べられる。食べなくても、どうしても不安で買いたくなる人は、防災用品の備蓄だと思って、値段は高くなるがパックご飯を買うのでもいいかもしれない。無いときにどうしたらいいか、を考えてみるいい機会かと思う。いつだって惜しまれていたって、無くなることはあるものだ。

いつもあると思っているはずのものは、失ったときにだけ「当然ではなかったのだな」ということに気が付く。人でもモノでも時間でも。今こういう時間を過ごせている自分は、やはり有り難いなぁと思う。字で書くとより有難いと納得する。有ることは難いのだ。もし、余分に持っているものは手放そう。余分なものに手を出すのは差し控えよう。いつだって、自分が「どうしても」と思う物事だけに携わろう。多くのことに手を出してしまったなら、自分には要らないものの行方を決めてあげよう。

では今日はこのへんで。