世の中は連休三日目。そうでもない人もいるだろう。少しだけいつもより少ない電車の中で、同じように出勤している様子の人を見て「お疲れさまだね~」と思ったり、遊びに出かけている家族や若い人を見て「こっちは仕事なんだよな~」とか思っていたりしないだろうか。以前勤めていたときは、祝日は無いものとして、日曜以外は働いていたときもある。一応週休二日だったので、他の平日一日が有効的に使えたものだ。世間一般で普通と思い描くものと違う働き方をするというのは、何となく損をしている気にもなるが、得もあった。けれど、今考えてみると、どんな一日であれ、どこかの誰かが働いていることによって、自分もたまたま働いていない時間を有意義に過ごせていただけのこと。昔は多少休みの違いに偏りがあったかもしれないけれど、損とか得とかではないんだなぁと今は思う。お互い様なのだ。
いくつか仕事を変えて来たことによって、一つの仕事の形態でしか働いていない人よりも違う目線で時間の使い方を楽しむことは出来ているかもしれない。選ぶときに、いろんな選択があるのだなぁと思う。私がやって来たものや、周りの人の働き方を見ていても、職種によって様々だ。休み方ひとつをとってみても、自分にとってのメリットを理解して仕事を選ぶと、楽しみ方が変わる。自分の集中力や体力、何を楽しみたいからどういう時間の使い方がしたいかを考えて、仕事を選ぶといいと思う。
以前ひきこもりになってしまっていた若者の話を聞いていたが、なぜか強い憧れの働き方があった。8時間労働の9時から5時のサラリーマンになる、というのをほとんどの人が口にしていて、本当に驚いた。自分はサラリーマンなんかやりたくないよ!という言葉をたくさん聞いて生きて来たのに、ひきこもっていた若者が目指すのはサラリーマン?いわゆる普通の働き方、というものがいいのかなあとそのときは思ったし、同時に自分はそれを目指す若者の側で出来ることはないなぁと思った。その頃は、目指すメリットが正直わからなかったからだ。結局置かれている状況や立場で、求める理想像が違うんだよなぁと思う。
他人の芝生は青い、というのも本当にそうなのか出来ることなら試してみた方がいい。全く同じとは行かないはずだから、どこまで行っても他人の芝生は青いかもしれないが。自分なりに踏み込んだ他人の芝生もそれほど青く無かったり、もしかしたらさらにもっと青く美しくなるかもしれない。それはやってみないとわからない。いろいろ体験してみて、結局のところは自分の芝生をどうやって青くするのかを考えることなのだなという思いに行きつく。
私の今の芝生は青々としている。もしかしたら他から見たら全然青くもないし、魅力もないかもしれない。ちょうど、他人の芝生は青い、という言葉に似ている意味の言葉を拾った。他人の飯は白い、だ。ああ、私は白い飯よりちょっと茶色いのが好きなんだよね。雑穀が好きだし、メインは胚芽精米。小豆が入っているお赤飯とか。そもそも違うんだ。白い飯、全然羨ましくもない。やっぱりな。今のこの生き方に納得してしまった。
では今日はこのへんで。