べっこべっこ、牛ではなくチキンだ。

小雨が降り続いている。虫は鳴いている。穏やかな日である。いつでも自分のところは、である。今日は遅く目覚めた朝だった。タイマーを消してからそんなに経っていないと思っていたのに1時間は経っていた。意外と眠れるものだな。朝ご飯を食べながらテレビで普段はニュースを見るが、今朝は見ずに洗濯物や食器を片づけて、歌とピアノを練習した。午後には友人と会う約束をしていたので、適当な時間に出ようと考えていたら、予定ギリギリの時間に出ることになってしまった。どうも今日は時間の感覚がズレている。

まぁ、朝はゆっくり眠れて良かったようで、体調が良い感じがしたし、友人との待ち合わせも結局は間に合った。めずらしく友人が甘い物がメインのカフェのランチに行こうかと誘って来たが、毎日のようにケーキを食べている身であることもあって、今日は「栄養のあるご飯が食べたいな。」となぜか自分から甘い物を避ける。元々チキンが好きな友人で、きっと「あ、また、あそこの鶏のコンフィを食べたいと言うだろう。」と思っていた。甘い物を避けて次に何を食べるかと考えていたら、やはり友人は「あそこのチキンの匂いが昨日漂って来て、美味しそうで。」と言うので、その料理を出す店に行く。

まぁ、月に1度、同じ店で同じ料理を食べたとしても、93回に1回だ。大したことがない。その位なら良いだろう。飽きるはずがない。ちなみに友人はほぼ家ではチキンを食べない。なぜなら一緒に暮らしている家族がチキンを一切食べないので、家族以外の誰かと食べるときにしかチキンを食べないのだ。たぶん、自分が一番この友人と一緒にチキンを食べているだろう。何だか家族とは違う特別感があるなぁ。意外なところで親密な気がする。

家族には家族なりの親密さがあるけれど、そこでは得られない親密さというのは必ずあるものだ。たとえ嫉妬されても、である。今日ちょうど、家族と行くより友人と行きたいという外国旅行の話が出ていた。家族と一緒にその土地へ行くのはそれなりに楽しいが、もっと深く興味を追及して行くならば、同じような興味がある友人と行った方がいいらしい。訪れた場所で家族にも同じ風景を見せたいなとは思うから、一緒に行くのは嫌ではないが、同じ熱量の温度感で楽しむには難しいとのこと。

まぁ、興味の熱量が違うと、じっくり見たいのに見ることが出来ない、気を遣う等はわかる気もする。そこへ一緒に行かないということではなく、同じ熱量で温度感で行ける友人と先に一度行って楽しんだ後、次は家族と行くということでいいのではないかと思っているようだが、家族は前回友人を送り出した後、たった2泊3日だったのだが、かなり不安になったようで、もう嫌だと言う。不安になる位なら一緒が良いのだそう。それに障がいがあるが成人していて仕事を持っている子どもがいるのだが、その子もなぜか友人と離れると熱を出す。残された家族が二人とも友人がいないことでかなり不安になり具合が悪くなる。次も必ず熱を出すよ、と子どもに言われたそうだ。大変だよなぁ。

実際、前回の旅行が自分たちで手配した個人旅行だったこともあり、家族の不安が倍増したようだ。なので、もし行くならどこかの旅行会社を通じて、連絡先や保険があるようなものにして、値段は高くなってもそうしようと考えているとのこと。安心を家族に与えつつ、自分の熱量も大事にしたいのだな。どちらも大事だよネ。諦めるという選択肢はないのだ。自分だけのことを大切にするだけでなく、家族も大切に出来ている。素晴らしいな。

友人にとって一緒に同じ熱量で旅行を楽しむ友人というのは、自分のことではない。必ずしも同じことばかりではないなぁ。嫉妬もしないけれどさ。この分野ではこの人と楽しむのがいい、これはこの人と・・・というように、分かれているものだよな。昨日ブログに全部全部!という言葉を書いたが、今日は別個別個!だな。それぞれの人とそれぞれの物事を楽しむのだ。あれ、もしかして自分はチキンを一緒に食べるチキン友達なのだろうか・・・。特別でありながら、親密さにしては弱い感じだな。

では今日はこのへんで。

そうだよ全部、全部が大事。

雨がまた続いていて、天気がすっきりしない。今度はまた台風も来るらしく、上陸しないとしても日本各地で雨は多く降り続けるのだろう。被災している地域はまだ解消もされていない状態で、その雨を受けることになる。いつも日本のどこかで避難したままの人がいて、今の自分の何も変わらない安穏な生活は、とてもありがたいものなのだと思う。

今日は店主から午後から手伝いに来て欲しいと頼まれたので、昼に出た。雨は少し小ぶりだったのでほぼ濡れずに到着。ひたすら栗を剥くのかと思っていたのだが、第一弾はすでに終わっていたのでその作業は無し。他に焼き菓子の仕上げが出来ておらず、残っている焼き菓子のシール貼付等をやって過ごした。いつもなら1種類ずつ仕上げたりするのだが、今日はまとめて3種類の仕上げるための準備をしてから作業を始める。だんだん自分も慣れて来たのだなと思う。いつだっておっかなびっくりやっていたが、最近はそうでもない。だからこそ、気をつけてやらないと何か抜けてしまいやすい。適当に数の区切りもつけることで能率を上げ、その都度確認もしている。ひとつの同じ作業を続けてやるよりも、小分けにして仕上げまでの一連の作業を終わらせていく方がいいようだ。4種類の菓子が出来上がった。

ちょっとケーキ三昧の毎日が続いているので、今日はケーキを買うのを止めておこうと思っていたのだが、今週から売り出している大きな和栗を使ったパイが美味しそうに見えた。試食ではなく買う。また食べちゃったよ。ははは。それこそ毎年味わっているが、今年は価格も上げて、組み合わせを少し変えると店主が言っていた通り、中身はきゅっと締まっていて、中のパイの数が減っていた。まぁ仕方ない。原材料費だけで6割取られてしまう。他の経費を入れたら、売り上げが少ない。もっと値上げしても良いだろうにと思う。以前のゆるっとした組み合わせで大型になってしまっていた物よりも、ほんの少しコンパクトに縦に詰まっていて、ペーストとクリーム類の絡みがしっかりしているせいか、とても食べやすかった。これはいいな。

毎年この時期にだけ出しているパイは、インスタ等に「始めました」と入れたら、やはりお客さんがたくさん来たと店主が言っていた。店で「いつ出ますか?」と聞かれるのはこのパイが一番多いな。人気のパイである。たぶん、こういう物で勝負して行かないとな。美味しいから毎年限定期間だけだとしても必ずと言っていいほどリピートしてくれている。そういう物を提供したいよ。

思いつくのは店主が作るキッシュやピザ、そしてパイは知る人ぞ知る人気メニューでもある。パイの種類によっては普段から店にも出している物もあるけれど、キッシュやピザは予約注文で作っているから、知らない人は全く知らないんだよねぇ。昔オープンしたばかりの頃に毎週一度は出していた時期があって、それを知っている古いお客さんたちがパーティーをするときなんかに予約して来る。滅茶苦茶手間がかかっているのに採算取れないから、店主はブーブー言っているけどネ。でも美味しいんだよ。お互いに満足する適切な値段をつけたらいいんじゃないかとは思う。今より作るスタッフが増えたらもっと売りにすることも可能かもな。

新しくスタートアップした若手の会社からコラボしてくれとの依頼が来て、来月販売を委ねるような形で始める場所が出来ている。上手く行くかはわからないが、店主も売る場所を広げて行こうとしている。そんな中、自分はあと少しで2年ほど店に関わって来ているのだが、特に新しいことをやれているわけでもない。苦手なところに着手する機会もあまり無くて、進歩しているのだろうか?戦力になっているだろうか?と思ったときもあるのだが、店を毎日維持するための作業を地道に続けていて、そういう部分もとても大事な力なんだなぁと思えている。目立つ営業力や企画力がなくても、ちゃんと自分もこの店の役に立っていると感じられるのは嬉しいもんだよ。

ひとつひとつは単純で地味な作業だけれど、華やかな仕事じゃなくても、どれをとってみても大事なのだ。店主がこだわりを持ってやって来た作業を自分も日々終えて維持していると自負出来る位にはなっている。まぁ、人間だから間違えたりもするんだけれどさ。店主の求めていた人材としては、自分は結構良かったんじゃないかと最近思う。「どれも簡単なことだからと言って、テキトーに扱っていいものはない。」って。よくわかるんだよネ。

では今日はこのへんで。

 

嫌な気分の真っ最中にヒンシュクを買う程の馬鹿笑いをさせられる

良いことも悪いことも、どちらも同じ割合で人生の中に適当に振り分けられて遭遇するように出来ているのだろう。同じ割合ではないかもしれないが、楽しいなぁと思って過ごした昨日の後に、今日はちょっとした嫌なことがあった。まぁ、以前よりもその受け止め方が自分の中で変化出来ているところとそうでないところがあり、考えようによっては良いことなのかもなと思うことが出来ている。ただ、半日位頭の中を占めていて、少々どんよりしてしまった。もったいないな。

こういうときに、考えたくないからこそ違うことを考えようとしても、出来ないものだ。でも、物事を悪く考えてしまう方向へ行かなくて済むようにすることは少し出来るのだ。それはきちんと食べること。昨日ケーキを食べて、食事をいつもよりまともに取っていなくて、ただでさえ栄養不足で、少々睡眠不足にもなっていたということもあり、そんな状態のときに嫌なことを感じてしまったら、嫌な感情ばかりが増幅しやすい環境である。まずは栄養を取ることなのだ。

実際に、そういうことに気が付く嫌な気分が浅いタイミングできちんと栄養のある物を食べると、食後には自分の機嫌を直して行くことが出来る。体の中に循環して行くだけで体が温まるだけでなく、血行が良くなるということは頭の中も動きが良くなるのだ。たったそれだけでも、視野は広がり、違う発想を生み出して、思っているよりも早く前向きに頭が働いて動いて行くのを感じる。そうなったらしめたもので、いつものいい状態の判断力が戻って来て、あっという間に今考えている嫌な気分を払拭する努力が出来るようになる。

いいんだよ。全部払拭出来なくてもネ。そうしようと動けることが大切なのだ。嫌な気分に深くはまって行くよりは、笑っている方がいいなとか、この時間無駄だなと思って、わざわざ不幸に陥るために努力しているような考えばかりで不安になることは馬鹿馬鹿しくなる。人間って思い悩む生き物だろうから、目の前に何もなくても、悩んで自ら勝手に不幸になることが出来るんだよねぇ。今、嫌な人が目の前にいないのに、その相手を目の前にしたときの嫌な感情を思い出して逃れなくなるとか。厄介だよなぁ。

自分も滅多にそんなことにはならないのに、今日は嫌な気分にはまりそうであった。アブナイアブナイ。まぁ、食事が取れていなかったのを思い出して、ひとまずきっちりご飯を食べたよ。たったそれだけで変わるもんだ。

あとは友人のところへ柿を届けに行って少し話をしたり、髪を切りに行っていつもと違う美容師さんと話をしてみたりもした。買い物をして帰るときに、町内会でお世話になっている人と話をする機会もあって、嫌だな~と思っていた自分の中の感情から離れる時間を多く持つことが出来たよ。嫌なことを感じることは仕方が無いが、自分で区切る努力をしてみる。違うことを頭に考えさせる状態にし向けるのだ。やはり人と会うとか、外を動き回るとか。単純に自分の神経をあちこちに使って、その結果気が散るんだ。それがいいんだよネ。

そうは言っても、経験上わかっているのは、良いことがあったら、悪いこともあるということ。だから、悪いこともちゃんと引き受ける心持ちでいる。ずっと良いことばかり続いていると悪いこともポコンと落ちて来る。楽しいのに水を差されるみたいで嫌だと若い頃は思ったし、良いことが続くと悪いことが起きるのでは?なんて勝手に不安にもなっていたな。その後勝手に自分で不安も嫌なことも余計に倍増していたなぁ・・・。そういうのは止めて、今は淡々と粛々と受け止めるだけ。いや、違うか。「あー、それね、はいはい、来ました来ました~、了解です。」みたいな感じだ。その後は大抵良いことに戻るんだからさ。キャッチしたらリリースするつもりでいる。しかも、なるべくキャッチしている時間が短い方が良い。

ということで、今日は半日程度でかなり嫌な気分は消化された。ありがたいことに、食事が効き、動き回り、そしてなぜかこういう時に限っていろんな人から連絡が入ったりもして、嫌な気分にどっぷり浸かるような時間はなかったよ。嫌な気分に集中したくても出来なかった?!なんて、なんて幸せ者なのだろう。よくわからない力が働いて、自分に降りかかる不幸に目を向けることは許されないでいるみたいだ。明日以降に嫌な気分の原因を取り除くことにして、寝よう。

では今日はこのへんで。

ケーキを食べて生きている人生の一幕

久々に高校時代によくつるんでいた友人と会った。その友人の家の近くに人気のケーキ屋がいくつかあるので、その味を試したいということもあって電車に乗って行ってみた。新しく引かれた路線が重なって、以前よりも早く行けるようになっている。乗換がなく行けるようになってとても近い。何でもっと早く使わなかったのだろうなぁ。いつも友人が車で近所へ来ていたのだが、また会うときは電車で行って会うのもいいだろう。このままただただ話をして夜更かしも出来そうな勢い。午前中から出たのに帰宅したのが夜9時過ぎになってしまった。楽しいもんだなぁ。

人気のケーキ屋は噂通りで、開店時間には着いたはずなのにすでに20組くらい並んでいた。どうやら午前中から行かないと種類が無くなってしまうというのは本当らしい。結局1時間程度並んで買った。ケーキはやはり以前よりも値段が上がっていると友人が嘆いていた。まぁ、どこも大変だろう。こんなに人気店であっても、ケーキという物をたくさん売るには人手が必要になる。その分経費がかかるよ。厨房に4、5人いてひたすら作っている。販売のスタッフも3人はいたかな?人件費はこれからもっと大変だろうなぁ。立地も住むのに人気の駅に近くて、きっと土地代も高いだろうなぁ・・・そんなことを思って見てしまった。

ショーケースには常時生のケーキが20種類ほど用意されていた。自分たちもそうだったが一組のお客が一度に買う量が5個以上。1個900円以上の価格帯である。この辺りで買うとどこでも少々高いけれど、なにせひとつのケーキが大きい。人気のケーキの切れ端が入った安い詰め合わせ箱が500円程度であって、なんだか良心的でもあるなぁと思う。

焼き菓子も気になって見て来た。割と簡易包装であったが、その分賞味期限が短い。おそらく1週間程度のようだ。この賞味期限と包装の種類というのはどこの店でも課題で、扱いは難しいのだろうなと想像した。意外とストックが少なそうである。売り切る努力をしているのかもしれないな。焼き菓子の他にもソルベ、ジャムなんかもあって、種類がたくさんあった。店内がとてもきれいに整理されていて、おしゃれである。有料の保冷バッグがかっこいい。ケーキのスペーサーや保冷材の入れ方がとても綺麗で丁寧だった。柔らかいケーキひとつひとつをフィルムの上からも紙で囲んでいて、しっかり崩れないように形作っている。その上で隙間にスペーサーを入れてあった。結構大切に包まれている感じがしたよ。形を揃えて、食べる直前まで美しく保つための努力が感じられたなぁ。

食べたケーキのスポンジ生地がとても繊細だった。キメが本当に細かい。弾力もある程度あって、柔らかくて潰れない、しなやかな生地だった。へー。クリームは割と軽く薄めな感じだったが、どのケーキも繊細。フルーツもケーキの中に使うときの状態が良くて羨ましい。うーん、さすがだなぁと思った。いいフルーツに仕立て上げている。薄いキャラメル地が張ってあったのも美しくて素晴らしいが、ただカットしている側面でさえも美しい。技術があるんだろうなぁ。

人気店というのは、いい評判ばかりでなく悪いものもある。どこで見てもいい評判の人気店ではあったが、たまたま今朝情報を調べるときにアンチコメントが出ている物を発見。まぁ、こういうのは人気が出て、たくさんの人の目に触れて、いろんな人が食べているのだから、大きくなればなるほどに何パーセントかの一部分の人は必ず違う感想を持つのが当たり前なのだ。それを目にして、人気なのだなぁと改めて思った。

友人が近くに他にもいくつか人気の店があるからと何度も言うので、今度行く約束をした。いつになるかわからないけれど、こんなに簡単に電車で行ける場所だったのだから、また行こうと思う。ケーキを食べながら話をしていて、今日は昼ご飯をすっかり忘れていたよ。夜も帰宅が遅くなってしまったから晩ご飯を食べるピークを過ぎてしまった。半分持ち帰って来たケーキの切れ端の詰め合わせ箱のケーキを食べて、野菜を食べて結局終了。お腹一杯だ。ほぼケーキを食べて話しているだけの一日だったよ。

では今日はこのへんで。

あっちから来た苺はマズいけど、目の前の小さな苺は旨いよ。

朝、雨戸を開けたら、ベランダの苺がすっかり色付いていて、とりあえず収穫。と言っても花がいくつかポチポチと咲いている中の小さな一粒だけなのだが、真っ赤になっていた。水で軽く洗って食べる。しっかり甘い。最近は店で食べていた苺はこの時期外国産なので、甘みよりも酸味が強く、しかも恐ろしく傷みやすい。全く別物だ。時間をかけて遠くから運ばれて来た苺よりも、自分の家の窓のすぐ外にある物に手を伸ばして食べる方が旨い。こんなに小さな一粒であってもだ。パンっと水分が張り詰めたボディに艶やかな赤い色。素晴らしい。

何でも自分で作れば美味しいのかもしれないが、それは今は全部自分では出来ない。けれど、自分の出来る範囲で野菜や果物、ハーブなんかは出来るのだ。ちゃんと土があって、太陽が光をくれて、風に吹かれて、雨も降る場所で。ほんの少し手間をかける程度で、こんなに美味しい物を手に入れることが出来るなんてなぁ。

一方、店では大量の苺のヘタ取りをしていると、傷んでばかりの苺に嫌気がさして来る。長い時間をかけて、こんなに遠くまでわざわざ来たのに、捨てられるなんて。かわいそうだ。やはり地産地消というのがいい。苺の季節じゃないときに、苺を食べたがる我々の方が狂っているなぁと思うのだが、今でも店では苺のショートケーキを出す。店主が一時期苺の季節じゃないから出さなかったときに、お客さんからほとんどお叱りを受けたそうだ。定番を作らないなんて!とご婦人たちから度々嫌な顔をされたらしい。まぁ、欲しいと言われるのだから仕方が無いということで、今は年中店に並べている。ただ、「無駄が多いなぁ~」と店主と二人嘆いているよ。

店主はそれでも、他のフルーツに関しては譲らないようにしている。例えばメロンや桃なんかをふんだんに使ったケーキを作って欲しいと言われたとしても、美味しい時期が過ぎていたら断ることにしている。バカみたいに値段も高くなるし、美味しく無いけどいいの?と聞いても、それでも食べたい!!と言われたら渋々作ることがあったようだが、そういうお客さんに限って、後で文句を言って来るらしい。困るよ。労力使って何とか仕上げても、店主の望む物には仕上がらなくてストレスはたまるし、お客さんの満足も得られない。踏んだり蹴ったりだ。お客さんの望みは叶えてあげたいから、努力はするし妥協もしているんだけどな。美味しいと思う物を店主は提供したいんだってことを忘れて、お客さんが我を通して来ると、上手く行かないよな。

なーんて、たった一粒の小さな美味しい苺を食べたせいで、いろんなことが頭を過った。美味しい物は美味しいタイミングで食べた方がいい。近場で手に入れられて、新鮮な物を食べた方がいいよ。運ぶとね、揺られて来るわけで。あちこち当たってしまうから、それだけで傷むよ。それが長い距離なら尚更だ。梱包や温度管理も徹底して・・・とか、いろいろ手をかけるより、近場で取れて旬な物は美味しい状態だ。今朝食べた苺みたいにネ。何もしなくても瑞々しくて美味しいのだ。せめて国内産の旬の物を食べようよ。高いお金を出して、長い時間をかけて手間をかけて運ぶような物は、それでいて美味しくなかったら馬鹿みたいだから止めようヤ。

自分も円が強いバブル時代を過ごしたことがあるから知っているけれど、あちこちからいろんな食べ物が安価で入って来たおかげで、手にすることが出来て味わった物も多い。けれど今思うのは、自分で現地に行って食べた方がいいということ。その土地の食べ方を知り、空気も丸ごと味わって、温度や湿度も含め、そのままを食べて来ればいいと思うのだ。お金があると言って取り寄せるよりは、お金をかけて行った方がいいんじゃないだろうか。

また話が他へズレ込んでしまったなぁ。まぁ、「今食べたい!」と思う気持ちは、食べ物を食べるのが好きな自分にもわかるよ。けれど、美味しい時期をなぜ待てなくなってしまったのだろう。それとも食べ物が年中豊かになって溢れているのを目にして来てしまったから、無い時期があるということを知らなくなってしまっただけだろうか。旬の物を食べる、なんてことがほとんど無くなってしまった暮らしである。もはや旬など知らないで暮らせるもんな。国産の物が無い時期に輸入で支えられてしまった。とてもありがたい話ではあるのだが。いつしか、いつでも何でも食べられると自分も含めて勘違いしているのだと思う。輸入は簡単に止まってしまうものだからね。気がついたら何にもないことに焦る日が来るよなぁ。

ということで、国産で旬の物を食べようと思うのだが、冷蔵庫の中身を見て自分はわかるだろうか・・・とてもアヤシイ。旬のものでさえもすでに値段が高くつくようになってしまったから、わかりにくいよ。ヤバイなこれは。とりあえずサツマイモとおはぎを食べとこう。

では今日はこのへんで。

 

豆を煮て、月を見た。

豆は簡単に煮上がった。いつもと違うレシピを見て、違うやり方でおはぎのあんこを煮てみたのだが、これはこれで粒粒していていい。硬めに見えた小豆がそうでもない。サラッと溶ける。ただ、煮上がってすぐのときは水分も多く、砂糖が回り切っていない。冷めるまで待たなくてはならないようだ。混ぜながら煮詰めることがない作り方だったので、即使いたいという時には向かないが、豆をつぶさないで残すあんこ作りもいいなと思った。同じ砂糖を使っているのに、甘みは2割増しのような気がする。もっと砂糖を減らしてもいいかもしれない。煮詰めるときに手にはねる火傷はないし、いいネ。コレ。

いつものやり方でいいときもあるけれど、少し変えてもいいのだ。長年親しんだ味もいいし、材料を特に変えたりしないで、作り方を変えて味わいの変化を楽しむことが出来る。料理というのはどこまでも面白いものだな。分量を同じにして、違う材料を試すこともあるが、そうやっていろいろと自分なりの好みに近づいたり、いくつか絞られて定番が出来たりもする。自分がやって来た料理なんて、料理と言えるかわからないようなものだが、食事は一日に3回もあって、試せるのが3回もあるってことなのだ。一年間で考えると1000回以上のチャンスがあるのだ。食事にはどうせお金をかけることには変わりないし、新しいことをやるのなら料理はいろんな意味で身になるなぁと思ったしネ。無駄にならんよ。

ああ、そうだ。十五夜だからか、今日は月がとてもきれいに見えた。まん丸だよね?昨日も大分光っていて、お月様という感じだった。月の両サイドに雲が湧いて、なぜか斜めに細く月を割るような雲が見えていたときがあった。月本体は光っているので、まるで土星の輪っかが付いているみたいだ。まぁ、すぐに流れて普通の月になっていたけれど。天体ショーは誰でも空を見上げたら見えるものだから、見ればいい。ほんの少し幸せな気分になるには簡単だ。

なんて言いながら、最近はずっと雨だったせいで、真っ黒とか真っ白な空ばかりだった。晴れたら晴れたで、夕方飛行機がブンブン飛んでいて、邪魔をする。子どもの頃よりもきっと飛行機の飛ぶ数は増え、飛行機じゃない物も飛んでいて、「何もないただの空」なんてものは大分少なくなってしまったのだろう。目にあまり見えない衛星とかも飛んでいるし・・・。青空というものだって、光って綺麗に見えるのは、実は空に小さな小さなゴミが飛んで反射しまくっているからだと誰かが言っていたのを思い出して、何見せられてんだ~と思う。人間の発明というものは新しく生み出された分、何かが代わりに減って行っているんだろうな。

話は変わるが、芋や栗の美味しい季節が到来している。以前はサツマイモの収穫が目の前の畑で行われ、毎年のように頂いていたなぁ。今年はもう無いんだなと思うと、寂しいというより、すでに思い出になり懐かしさになってしまった。いつもこちらからは柿をお渡ししていたのだが。ちょうど柿の量も少なくなっていて、もしかしたら渡せなかったかもしれないな。自分で調整しているわけでもないのに不思議だよな。

今は畑はなくなり、雑草が背丈を未だに伸ばしている。ボーリング調査が入るために自分の目の前だけ刈り取られていたが、だんだんとまた雑草が生えている。何の木なのかわからないが、勝手に生えていた背の高い細い木を切り倒して行ったままで放置されていたところを今日よく見たら、倒した木から垂直に枝を伸ばして、また大きくなっている。倒したままで枯れると思うなよォ。植物はそこから自由に根を伸ばし、幹を太くして枝も生やして葉を茂らせていくのだから。造成地になる前に小さな森になるかもだ。栄養のあるいい土だから、いろんな鳥や小動物が入って来て、糞をして種を落として行くだろう。どう考えたって、生えて来るよな。ちょっと見ものである。

話が逸れてしまったが、最近はサツマイモを店で買うようになった。自分一人だから大量には要らないのだが、出回り始めた小さめの細長いサツマイモが詰まった袋を買っている。買って食べるという行為がなんだか珍しくもある。そうやって少しずつ違和感を持ちながら、いつしか慣れて普通になり、年末の栗きんとんに使うサツマイモを当たり前のように買うのだろうなぁ。里芋とかさ、サツマイモ、小松菜なんて、買わないでお正月を迎えていたりしていたことを忘れちゃうのか?いや、忘れないでいよう。たとえ忘れちゃったとしても。

では今日はこのへんで。

 

出会いだって縁だって、ちゃんと持ってるはずだって。

柿の実を取ったり剪定したりと何かと使わせてもらった高枝切り鋏を返しに行く。柿の実とケーキ屋で買っておいた焼き菓子も一緒に持って行く。よく切れる刃がついていたので、とても重宝した。肩に傾けて長い鋏を担いで行く。自分でもなぜこんな住宅街を、まるで戦うための長い棒を持っているかのように歩いているのだろうと可笑しくなる。誰も見ていないさ。今日は平日さ。天下取りに行く気分で歩く。空は晴天。暑い。でもこれは楽しいゾ。

鋏を借りた友人宅の庭先であちこちの植物を見ながら話をしてしまった。10時位に行ったはずなのに、二人して話し続けてしまい、帰ったのは結局1時を回っていた。楽しいんだよな。でも危ない。久々の晴天で気温も高いし日差しも強い。帰宅したときには喉はカラカラである。飲み物を持参していたのになぜ飲まなかったのだろう。話好きはヤバイな。今後もこういうことがあり得る。友人も「熱中症になりかけだった」と後で連絡が来た。気をつけないとな。

次回会うときは部屋で寝ている友人の愛猫と一緒にティーパーティーしようと話す。時を忘れがちな二人である。ほんの少し体に気をつけてお互いを大事にしよう。つい最近まで血糖値が・・・と言っていた友人だが、コントロールが良好で瘦せ過ぎてしまったようで、病院の先生から「もう太っていい」と言われたそうな。ケーキも解禁だ、あんこも食べたいと言っていたので、今度店の菓子を持って行こう。健康だと楽しめることが多くなるネ。とてもありがたい。

あんこと言えば、彼岸なので小豆を煮始めている。ちょっと遅かったけれど、終りには間に合うのだ。そう言えば、もう亡くなった父が夢に出て来ていたなぁ。内容を覚えていないけれど、二人でワイワイと楽しく騒いでいた気がする。とても楽しい夢だった。自分の人生の中で一番確かな存在の人だったせいか、今この世にいる人の中でそれ以上の何かという人を知らない、というか出会えていないような気もする。残りの人生で同じような人もいないだろうと思う。だからこそ、かけがえのない人なのだな。

なんだか、そんな話の続きのように、大学時代の友人が「ご縁て不思議だね、素敵だね。」という言葉をちょうど送って来た。この世の中のほとんどは知り合えず、何の関係もない。けれど、知って繋がっただけで特別な人になる。その通りだと思う。道を歩いていて、あんなにたくさんの人とすれ違うというのに、縁がない人はただすれ違って行くだけで、知り合うことはないのだ。出会って、繋がりを持った人というのは、やはり知り合わなかった人たちとは違うのだ。

このブログを書いているときでも同様で、これだけたくさんのブログの中からたまたま見てくれた人たちがいて、とても不思議な体験をしていると思う。自分も他の人のブログを読むことがあり、会ったこともないのに言葉に魅かれていることだってある。何にも関係のないところから、何かしらの縁が出来ているのだろう。もちろん、スイッチを切ってしまえば、終わってしまう関係でもある。いや、関係などという言葉に値するかはわからないが。たまたま目に映ったりしたことだとしても、それを読もうとしたりするということは、ある種の繋がりが一瞬あったということではないかなぁと思う。たまたまというもの、偶然か?必然?どちらにしても、出会うことがないものが出会っていることの凄さがあることには変わりない。いやぁ、すごいね。

今日は柿を渡すために友人と午後から会う予定だったが、どうやら風邪で寝込んでいることがわかってキャンセルとなった。会えそうで会えないときもあるネ。そんなときは自分には会うよりも優先した方がいいことがあることに気が付くんだ。毎日がこういう不思議の連続だ。自分が向かっている先へ辿り着けなくて、もし足止めされても、目の前で起こることが重要だったりするんだよなぁ。自分にも縁はちゃんとあるんだと思えるよ。もちろんいい縁だ。何も嘆くことなんかないんだろうな。

では今日はこのへんで。