急に友人からお誘いがあって、ランチをした。あまり「急に」ということが最近なかったので、ちょっと驚きながらも嬉しく思う。みんな大抵忙しいので、空き時間が出来て、そのときに自分を思い出してくれるとは。ボランティアの会議の後、たまたま時間が空いていたタイミングだったので、一度家に帰ってから出かけることとなる。
年齢が私より上の人なので、体力的にとか、怪我がとか、もうスポーツが難しい…等々言っていたが、結局手の故障でドクターストップがかかってしまった大好きなテニスを止めていたが、再開して今は生き生きしている。まだ少し、自分に無理のない範囲で続けるということを選んだようだ。本当にいつまで出来るかなんて、誰にもわからない。動かなくなるまで楽しみを続けたいのなら、誰かに止めた方がいいとストップをかけられても、続けて行く。自分の元気の源を自分で安全地帯にいるために捨て去るというのは出来ないのだ。
前回会ったときよりもとても元気そうで、ただちょっと年齢を感じる顔つきになったな、と正直思った。自分より8つは年齢が上。だんだんと、ガクンと体力がさらに落ちたり、今まで出来たことが出来なくなったり、見た目も変わったりするものなのだろう。まだそれほど何かが変わった、ということを他の人に気が付かれない程度の自分がいて、これからもっと変わるときにショックを受けて行くのだろうか。今まであったものを無くして行くはずだが、そこには新しい体の使い方が生まれ、新しい感情や価値観も生まれたり増えて行くのだろうと思う。
失ったと思っていたものは確かに無くなってしまうのだけれど、違うものを確実に手に入れている。自分より何十歳も上の人たちと付き合うことが多くなって、高齢になればなるほど面白いなぁと感じる。その一方で、若い人たちが面白くなくなってしまった。若い人間は可能性をたくさん持っているというが、そのせいで持て余して苦しんだり悩んだりすることが常である。それでも放って置いても勝手に生きるはずだよなぁと思う今日この頃。若いというだけで、失敗も痛手もその後もう何度もリカバリー出来る時間があるのだ。若さは脆く、壊れやすさもあるが、壊れたら治ってさらに強くなる。そのはずだが、今は壊れたら、壊れっ放しになってしまっているのが多くなり、社会全体でどうにかしようと、大人になった子どもの手当を親ではなく社会がやっている。手厚い支援をしているのだから、もう私が目を向けなくても手を伸ばさなくてもいいかなと思う。興味関心を他の人に委ねても良いなと思っている。
ただひとこと。そこまで子どもを社会で支援をしよう、という変化が生まれて来たことについて、私なりに思ったことを述べたい。
どこかの時点で大人である私のような人たちが、生れたときからいろんな意味で過保護にし過ぎてしまったかもしれないと思う。子どもは何度転んでも大丈夫、転ぶことによって転ばない術を学ぶのだ。なのに今はそもそも転ばないで育つ。まるで転ばせる親は悪い親、とでも言っているかのような世界。
親として過ごした自分がいるからわかるが、転ばせない方が親はラクなのだ。手当をしなくて済む。大体、何か怪我をして手当の仕方が分からないでオロオロするくらいなら、避けた方が良いと思ってしまう。情報もたくさんあるしね。何か事が起こって、自分が悪い親という烙印を押されるのはイヤであるし、傷ついた子どもを見るという事態を親自身が辛くて避けるよう行動する。子が傷つくのを見ているのは辛いし、傷つけないで済むならと思うのは自分にもわかる。
ただ、親子共に失敗等の痛手を負わないと人間って育たないなと感じて来た。生れ出たときから長い年月をかけて、怪我をした子とそれを見る親として、一緒に辛さを乗り越えて、お互いに手当をして育つものではなかろうか。親は心配しながら子の手当をし、子は辛そうな親を見て怪我という自分の身の回りに起こった一連のことを学ぶ。何をその怪我で感じるかは個人差もあると思うが、少なくとも親が側にいることの安心を学ぶだろうし、自分の身に起きたことで親に心配をかけたことを知るし、痛みを共感することも出来るんじゃないだろうか。もちろん、手当の仕方や怪我は治るということも経験する。親と共に怪我をしないように生まれたときからいろんなものを避けて育ったとしたら、そりゃあ10代になって急に自分の手当がわからずいるだろうし、親もどうすればいいのか知らずに急に慌てて、血を流して突っ立つよなぁと思う。
まぁ、ちょっと表現が飛躍し過ぎたかもしれないが、親子で何も一緒に乗り越えた体験をしていない気がするのだ。小さなことの積み重ねだ。一緒にいる時間がそもそもないよな。危ういと思うよ。ただの快適な箱を生み出すだけでは子どもは親との関係を学べない。精一杯働くという時間に、親子の時間を取られてないだろうか。いつも他人の誰かに子の手当をさせていないだろうか。関わっている時間が長い分だけ、気持ちが分かり合えるというのを知っているはずなのに、離れている時間の方が長くなっていないだろうか。子がお腹が空いたときに食べている物は誰が作ったものなのだろう?一緒に食べている?
もうこれは私がやることじゃないよな~と思う。みんな、自分の子を抱きしめるのに手いっぱいだ、という親でいて欲しいなぁ。自戒も込めて書いた。
では今日はこのへんで。