「心の旅」は今どのあたり?という愚問を自分にしてた。

50代になって暫く経つけれど、自分がもっと若いときに思っていた自分より、若いんだなと思う。確かに若い人よりはもちろん年を取っているけれど、だから何なんだろう?とも思う。若いというだけで変化にも成長にも柔軟だろうと思うし、見ているだけで可愛いと思うのは確かだ。何も持っていなくて当たり前で、考えも固まっていなくて、身が軽い。何が出来るとかもまだわからず、目標も揺れ動いているような。何事も新鮮で面白い時期。書いてみて、自分が思う若いことの良さはそんなところかなと思う。

確かに若いときはそれが良さだと思われても、この年齢になっていれば「えっ?」と大半の人に思われるから、今の自分の年齢でその良さはどちらかと言えば悪いものになっている。しかもタチの悪いことに、生きて来た年数と共に、どんなに目の前にあるものが変化して行っても、凝り固まった考え方が一つ二つは定着していて、心と共に身が重い。何か試しにやってみると良いなと思いながらも、新しいこととは?と考えると動かない。だから新鮮なものが減っている。わかった気になってしまうのだ。たぶん本当はわかっていないのだろうけれど、自分の中で面倒くさいことは、きっとこうだからなぁ・・・とするすると自分勝手に理由付けて片づけて、新しいことに挑戦をしない。動かないね~。馬鹿だねぇと思いながら、自分を見つめて振り返っていても、あーだこーだと動かない自分に有利な理由付けをするのは上手くなってしまった。とほほな年の功だなと思う。

揺れ動く気持ちや一体自分は何が出来るのだろうと思うことは正真正銘の若いときから変わらない。それは自分に限らず、周りの人とも話をして来て、人ってずっと揺れ動き続けるものなのだ、というのがよく分かって来た。若いときの常識なんて、ずっと壊れっ放しで変化するもの。そんなものに合わせてずっと生きていられるほど、人の世界は同じじゃないなぁということくらいは、今受け止めている。でもそれ自体も、決まっていたら楽なのにとも思う。これとこれが出来ます、なんて一瞬で変化するから面倒くさいんだよなぁ。まぁ、実際は何か出来ることなどを目指さず、出来るかどうかもわからないうちにやり始められるかなのだろうなと思う。

ああ、何を書いているのやら。自分が最初に書いた自分自身に向けての「若い」は、たぶん見た目かなぁ。鏡を覗くと、何だか若いねぇと思ってしまう。心の中と外見がズレているかもなぁと思うが、きっと外見が心に追いついてくるのも時間の問題だろう。それとも、自分で思っているより年齢相応なのか。別にどうでもいいことを書いた。

では今日はこのへんで。

嫌だ嫌だも言えるうちに言い、言うことで、言えなくなるような日常にならないようにしておく。

真夏のような暑さと日差しがあったかと思えば、急に秋の涼しさに困る。涼しいを通り過ぎて寒い。半袖もそれほどもう使わないはずだったが、半袖を着てその上に長袖ジャージを被る。食事をすると相変わらず体が汗を吹き出すから、脱いだり着たりを繰り返す。今の涼しさだと、洗濯物が乾くのを夏の日差し程には頼れなくなるから、なるべく薄手の物を着て、その上にジャージを重ねる日々。洗ってもジャージならすぐ乾くし。季節が変わったら洗濯物を減らさないと部屋中物干し場になってしまう。夏の気候は洗濯物がすぐ乾くからありがたかったけれど、さすがに暑過ぎた。今度は寒いと感じる気候になるのか。少し秋が長いといいなぁ。温暖化だから冬が無くなるのかもしれないが。

ところで、ニュースで弾道ミサイルの映像が流れているのを目にした。鮮明な光がいくつも頭上を流れて行くんだなぁ。花火なら綺麗だね、と思って楽しめるのに。あの光の先には死が待っていて、それを望む一方の人がそのミサイルを打つのか。いや、双方が死を望んでいるよな。双方が同じような考え方をしてそれを基に行動しているから、報復という考えが当然としてそこにあるし、結果もわかっているはずなのに、やり続ける。最後何もなくなってしまうのはわかっているのになぁ。きっと本人たちが虚しくならないのは「意味があってやっている」ということなのか。意味を感じられる人たちが果たして生き残る?結局その意味を感じる一部の指揮を執っている人たちは生き残り、関係ない意味ないと思っているような人がたくさん死んでしまうのでは?と思う。怖いことだ。

戦争なんてバカバカしい、と思ってしまうけれど、自分はそう思って見ている人だから、戦争が起こったら訳も分からず簡単に命を奪われてしまうところにいるのだろう。割を食うのは私のような人だ。戦争はだから自分にとって、とことん恐ろしい。誰かが言っていた通り、始めるのは簡単だけれど終わらせるのは難しいしな。そこだけの場所で終わるものでもないし。戦いの火の粉も飛び火させて利用する人がいるだろう。知らないうちに自分の街中にミサイルも落ちて来るのでは?やめて欲しい。

個人の中だけで意味のあったはずのことも、戦争が始まり、被害を受けて行く人が増え憎悪が増える。それが多数になって行くと、いつの間にか戦いが意味のある総意になってしまう。きっとあっという間だ。その頃にはどんなに何か言っても、戦争の勢いは止められないよなぁ。

そうならないために、緊張感の中で今は止めようと動いていてくれる人が、今はまだ世の中にいてくれている。感謝だ。せめて、今自分に出来ることは「戦争はイヤだ」と言うことだ。ありがたいことに、まだ自分が傷ついていない、まっさらな状態で素直に言えるから。もし生き残って傷ついて、自分の周りも傷ついて、憎悪が出て来たら、たぶん言えなくなるだろう。だからこそ、「私には戦争をする意味があるのだ」と言う人が増えて、それが総意になる前に、戦争にならないように「戦争はしないで」「戦争はイヤだ」と言っておきたい。

では今日はこのへんで。

スマートな大人ばかりが、大人じゃない。

久しぶりに夕方少し混んだ電車に乗る。昼間にあった演奏会の帰りだ。混んでいたが何とも思わない。たぶん自分が疲れている訳でも無理している訳でもないからだろう。一日朝早くから仕事をして、いろいろと疲れて乗り込んだ電車ならどうだろうと思う。心がキューっとするような辛いことや穏やかになれない理由があって、乗り込んだ電車だとしたら、また違うことを感じるのだろうなぁ。向かう場所に楽しいワクワクが待っている場合なら、自分の内側から喜びが溢れ出しているかもしれない。きっとごちゃ混ぜの思いを乗せて電車は動いている。自分が楽しいから周りが見えなくなって、悲しんでいるとか怒っているとかの気持ちなど気が付かずにいても、ごく普通の顔をしてそこにいるのだろうなぁ。表情でさえ同じ顔をしているように見えてしまうけれど、きっとみんな違うことを思って過ごしている。

行きの電車の中で小学生の団体と会った。引率の先生が座席に座る子どもに人が来たら立ちなさいと声をかけていたが、ギュウギュウにくっついている子どもたちのグループを押し退けて、大人は座席に座れないだろうなぁと思って見ていた。気にしている子どもたちは空の座席の前で立っている。きっとこれは難しいぞ。乗り降りする人たちもどう声をかけたらいいのかわからず無言で電車の中を移動していた。

でも、待てよ。大人はここで普通に「降ります」とか「通してください」とか、何らかの言葉をかければいいのだよなぁ。大人が普段黙って電車も降りたり移動したりしているのかもなぁと見ていて思った。何も言えない大人になってしまっている。その場で黙っていて、後で子どもが電車に乗っていて通れなくて邪魔だったとか座れなかったとか、迷惑だ云々を言っていたりしないだろうか。自分も奥に座っていて見ていただけだが、何か声かけは出来なかっただろうかと思う。座席の目の前に子どもたちが立っていて、こちらから見ると遮られているみたいで、空席ばかりとなり、立っている空間だけが混んでいた。「空いていますよ。座ったら。」と子どもたちにも一言言っても良かったかもしれないと思う。自分もその場で状況に合わせて声をかけるのが相変わらず下手で、そのままどうしようかなと思いながら見ているだけになってしまった。

子どものことで言えば、ああいう場が体験の積み重ねになる。だから大人はその貴重な学びの場に参加しているわけだ。何を重視するのか。人によっても様々だろうなぁ。子どもたちが電車に乗っているときの様子を見ると、学んでいるのだなと感じた点があって、先生がいたせいか、みんなものすごく静かに電車に乗っていたこと。学校で移動するから静かにしているのかな?とも思った。引率する大人がいるときは行儀がいいのかもしれない、と思ってしまう。

登下校で慣れた電車に乗り込んで来るときはみんな大騒ぎしている様子を何度も見かけていて、楽しく大きな声で話したり、動きもあってにぎやかになることもあって、ちょっと疲れるところもあるけれど、子どもが当然のように元気良過ぎ!と思う場面で、ほっともする。あまりに静か過ぎると恐ろしくもある。ねぇ、エネルギーはどっかに行っちゃった?と思ってしまう。走り回って大騒ぎしろとは思わないけれど、小さな声でも気持ちは抑えきれてないよという会話しているのはダメなのか?と思うくらい静かだった。

座っている子たちの中には居眠りしている子どももいた。まるで大人みたいだ。この子どもたちが子どもらしかった時間はあったのだろうか?と思う。きっと子どもらしい、という姿ももしかしたらもう、大人が望んでしまう行儀の良い都合の良い子どもだったりするかもしれないなぁ。たぶん、まだランボーだけれど明るく元気の良いちょっとわがままな子ども、なんて自分が想像する子どもはもういなくて、そんなものは大多数の概念からはすでに消えているのかもしれない。

まだ何もわかっていない、伸び伸びしている、学ぶことがいっぱいあるね、という子どもはいるんだろうかと思うくらいちゃんとしている子ども。もっとたくさんの子どもに会えば違いに気が付くだろうか。大人が育てやすい子どもは、育ちにくいんじゃないだろうか?と思う。手を焼いた経験がある親は見えているものがある分、変化を感じやすいが、見えないものは難しいだろうなぁ。子どもの謎が深まる、なんてことになりそうだ。っていうか、すでに自分にとっては謎になっている。年齢がどんどん自分と離れてしまったせいかもしれないが。

そういった行儀の良い子どもたちに出会ったときでさえも、電車内で起きていた出来事のように、小さなことだけれど、大人である自分が気が付いて、まだ出来ることはありそうだ。見ているだけ~ではなく、気が付いたときには声をかけてみることだ。下手な大人が声かけて来た、を自分はやり続けるんだろうなぁ。何も、スマートな大人ばかりじゃないよってことを知ってもらうのも大切でしょ。

では今日はこのへんで。

考えたところで、答えが出たところで、何もないんだけどね。

無職生活が8か月過ぎようとしている。何だか思ったより規則正しい生活が続いていて、自分でも「そうなんだ」と驚いている。夜は眠るし、眠れないときも朝は起きるし。健康的な生活をどうやら周りの環境というものがそうさせている。ご近所の生活習慣は自分の生活にどうしたって食い込んで来る。周りの人が規則正しく生活をしている生活音のおかげで、ああこんな時間なのだなと気が付くこともあるし、朝は小動物も走り回っている音が聞こえたかと思うと、次々に朝の準備をしている気配とあちこちの雨戸を開ける音で目覚めるしかなくなる。そのまま眠ることは数えるほどしかない。寝ても8時位には起きてしまうので、健康的なリズムがそのままだ。

ただいろんなモチベーションが低いのと自由の面白味が薄れている。もしかしたら、ギリギリの「生きる」というやる気を保っている最中かなと思う。やりたくないこと、みたいなものが少ないので、そもそものやりたいことが当然のように出来る。とは言っても、大したことをやりたかったわけではなくて、こういう時間に囚われずにやりたいと思った瞬間にやりたいことが出来やすい生活のみを手にしているところだ。

気分が赴くままに何事も出来ると調子がイイかもな~と思っていたが、人間の生活というのは自然にも影響されているし、そのせいで自分の気分や体調にも左右されている上、暮らしを支えてもらっている基盤となる社会の動向からも逃げられてはいないから、思ったほどそうでもない。関わりが無くなるというのはあり得ないのだろうなと体感している。自分の世界というのはとても小さな範囲で行われていて、自分は世捨て人になるなど出来ないのだなと思う。金銭的にとか会社から離れてとか位は調節出来る気はするけれど、人が作る社会の一員から外れて生きて行けるような生活は無いなぁと思う。

ただっ広い森を買って山で住んで、今健康で若くても、いずれ年を取れば一人ですべての自分の生活を支えることは難しくなる。野生の動物のように、年老いて弱くなり食べられて一生を終える、なんてことと同じなのだろうなぁと思った。一時期そういう生活をして生きて行くというのは、一時期であって、生れたときから暫くの時期、年老いて死ぬまでの間は、誰でも何かしら人と関りを持って生きているのを避けられない。

どのタイミングで今身近に自分が置かれている社会と関わるかもわからないが、どの道関わることになるなら、自分はどうしたいのだろう?と思う。今はまだ距離を出来るだけ取りたい気持ちでいるんだよな。たった数ヶ月、仕事をして稼ぐという場からは離れているが、ボランティアにも行っているし、意見も言って人とも会っている。もし、誰にも会わずに話もしなかったらまた違った考えを持っただろうか。まぁ、自分ではたぶん無理だろうけれど。

ここ数年、社会で自分は要らない人なのだ、と思って生きている人たちと話す機会を多く過ごして、自分自身はどうなのかなぁ?何が違うのだと漠然と思って生きて来た。おかしいかもしれないが、どこかで「社会から要らない人」になろうとしている自分に気が付く。どんな扱われ方をしているか、どんなふうに感じるか。社会が重荷だ、と感じてしまうのは、どこまで逃げて行っても社会から要らない人には誰もなれない証拠でもあると感じているが、どうだろう。まだ体験も途中だ。

では今日はこのへんで。

生まれたてのカフェは新顔の顔をしていない

ボランティア先で子ども食堂を立ち上げたいと言っているカフェが近所に出来たと聞いて、一人で行ってみた。聞いていた目印の建物の周りを二度程回ってみたけれど、見つからない。おかしい。仕方ないので目印の建物の近くを探索してみた。隣、と聞いていたが隣じゃないな、古い空きビルはあるけれど、綺麗なドアが見えるって?

人が何か探すときには視界が狭くなるものだ。隣の隣のビルに、そのカフェは突如現れた。視界に入っていたはずなのに気が付かなかった。看板は大きく出ていないけれど、メニューの書かれた立て看板がドアの横にあった。ここだ。閉店時間までギリギリだったので少し入るのを迷ったが、ドアを開けて見る。覗くと3つの部屋に分かれていて、人がいる声の方を見るとカウンターらしきものがある。そちらから声がした。

「入って入って。どうぞ。」3人ほどいるところに招かれた。ドアを開けたすぐのところに段差があって、靴を脱ぐのか?と一瞬思ったが、違う。カウンターがあるところにお客らしき人が一人座り、男女の店主らしき人がいた。どこでも好きなところへ、と声をかけられ、カウンターに座る。部屋の角には薪ストーブが据えられていて、一人掛けの皮のソファーが近くに2つ並ぶ。こじんまりしているが、窓の外にテラスがあり、そこにもスペースがあった。思っていたより広いなぁ。

メニューを見ると、外の看板より増えている。「まだやり始めたばっかりで。」とお店の二人は言う。コーヒーをメインに作って、他は軽食を出すようで、日曜は9時から。裏メニューがたくさんあるようだ。書いていないメニューをその場で作って出すという開店始めの段階。会計も先に払うのか後に払うのか、どうするか未定のようで、こちらから声をかけて聞く。まだ2回ほどしか開いていないカフェで、出来立てホヤホヤ。いろんな準備をして、決めてからスタートという感じではなく、やりながら決めて行こうというゆるい雰囲気が伝わって来る。結局一杯の飲み物をオーダーした後、そこにいた他のお客さんとも話しながら2時間ほど過ごしてしまった。閉店時間はとっくに過ぎていた。

日曜の9時から昼過ぎまでと金曜の夜しかやっていないカフェ。金曜はbarになる。いずれ子ども食堂をやりたいという話で聞いて来た場所であったが、お店の二人の様子を見ていると、誰でもいい距離感で話をする場所として繁盛しそうだ。料理や飲み物はこだわりがあるというわけではなさそうだったが、悪くもないだろうと予想している。元々他の場所で土建屋さんをやっていて、やりたいことの一環でカフェを開いている。話をすることの出来る雰囲気作り、場作りがメインだろう。去る者は追わず、残っているお客さまには敬意と寛容と親しみを込めて接する感じが出ていて良かったなぁ。話好き、人が好きという気持ちが前面に出ていた。

私自身も誰とでも話してしまう。悲しいかな、素敵な話好きと変な話好きがいるとしたら、変人側だなと思ってる。だから初対面の人とは程良く人との距離を取らないとな、とかいろいろ考えてしまうところもあるけれど、カフェの二人は笑顔で明るく「とりあえず話してみないとわかんないよね。」という感じが伝わって来て、和んだ。連絡先を交わし、店を出た。どこかで会ったことがきっとあるなぁと思うのだが思い出せない。話の内容でふと同じ名前と出来事を聞いたような気がする。けれどどうしても思い出せない。仲良くなる人に対してはそういう気持ちになるだけってことか?ちょっと気になって、もらった連絡先に帰りにお菓子をもらったお礼も兼ねて連絡をしてみた。もし前に会ったことがあったのならそれも嬉しいね~と返事が来た。おお、やっぱりこだわるところが私とは違うねぇ。いいなぁ。大切にしているところがブレないな。また居心地の良さそうな場所が出来た。

では今日はこのへんで。

おはようという相手は

朝から蜘蛛が足の上を走って行った。先日から住んでいる二匹の大きな軍曹と呼ばれる蜘蛛だ。一匹はもう一方の半分くらいの大きさで、どこか遠慮がちに動いていたが、今日は私が洗面台で口をゆすいでいる最中に足の甲を走り抜けて行った。いつもチョロチョロしているのは確認しているのだが、この間もカーテンを朝開けている最中に上から頭を伝って顔の上を通り過ぎて行った。さすがに顔はイヤだな。一瞬だけれど。

以前は隠れて暮らしていたはずのその2匹の蜘蛛が足元に堂々と出て来て、「踏んじゃうから危ないだろ。」と声をかけることが多くなった。この間はテレビの前の私の定位置のところに、蜘蛛が居座っていて、まるでテレビを見ているかのようだったから、思わず写真を撮ってしまった。何なんだコイツは?と思う。風呂に入るときも浴室にいると水をかけてしまうからと追い出すときに、表情がわかるわけでもないのだが、何だか相手が不満そうな気がしたりする。

その証拠に、浴室から出たすぐの足拭きマットの横で一向に動かない。最初追い出すときに何かあって死んでしまったのかと思ったので、つついてみたら生きている。嫌そうに足を一本動かし「生きてますって。」というような様子だ。半日くらいは同じ場所にいることが多くて「いるな。」と思って安心しているが、姿が見当たらないときは気をつけないと不意に踏みそうなので、最近は足元をよく観察しながら歩いている。

これって私のためなのだろうか?足元を確認しながら歩かないと、自分がつまづいて危ないから?自分のために神様が使いを出して、一人暮らす衰えて来た自分を気にしてくれているのなら仕方ないような。自分の置かれた状況に吹き出す。神様の使いが大きな蜘蛛二匹。きっと周りの人に引かれるなぁ。

毎日誰かと話す機会があるのに、夜が明けて朝になると、なぜか誰ともしゃべっていないな、というふうに思ってしまう。そんなとき、突然駆け抜けて行く蜘蛛に対して、朝一番に話しかけることになる。相手に言葉があってこちらに返して来る言葉があるわけではないのだが、私自身が言葉を発するタイミングとなる。毎日家で映画を2本は見て、ゴロゴロしていると思っているので、話すことなど特にないよなぁと思っている自分だが、意外と人と話をもっとしたいと思っているのかもしれない。自分の言葉を今は言い足りないのか。なら思っていることを書けばいいよね~と思うのだが、書くのと話すのでは頭の中で使っている機能が違うので、どうも話す感覚を消化しきれない。話す体の器官を使いたい?そうなら発するしかない。音読とか歌とか、言葉を発しながら息を吸い、吐くのがいいかもな。書いている場合じゃないぞ。

では今日はこのへんで。

そんなの出来ないよ~ではなく、やってみるかどうかというだけのこと。

急に友人からお誘いがあって、ランチをした。あまり「急に」ということが最近なかったので、ちょっと驚きながらも嬉しく思う。みんな大抵忙しいので、空き時間が出来て、そのときに自分を思い出してくれるとは。ボランティアの会議の後、たまたま時間が空いていたタイミングだったので、一度家に帰ってから出かけることとなる。

年齢が私より上の人なので、体力的にとか、怪我がとか、もうスポーツが難しい…等々言っていたが、結局手の故障でドクターストップがかかってしまった大好きなテニスを止めていたが、再開して今は生き生きしている。まだ少し、自分に無理のない範囲で続けるということを選んだようだ。本当にいつまで出来るかなんて、誰にもわからない。動かなくなるまで楽しみを続けたいのなら、誰かに止めた方がいいとストップをかけられても、続けて行く。自分の元気の源を自分で安全地帯にいるために捨て去るというのは出来ないのだ。

前回会ったときよりもとても元気そうで、ただちょっと年齢を感じる顔つきになったな、と正直思った。自分より8つは年齢が上。だんだんと、ガクンと体力がさらに落ちたり、今まで出来たことが出来なくなったり、見た目も変わったりするものなのだろう。まだそれほど何かが変わった、ということを他の人に気が付かれない程度の自分がいて、これからもっと変わるときにショックを受けて行くのだろうか。今まであったものを無くして行くはずだが、そこには新しい体の使い方が生まれ、新しい感情や価値観も生まれたり増えて行くのだろうと思う。

失ったと思っていたものは確かに無くなってしまうのだけれど、違うものを確実に手に入れている。自分より何十歳も上の人たちと付き合うことが多くなって、高齢になればなるほど面白いなぁと感じる。その一方で、若い人たちが面白くなくなってしまった。若い人間は可能性をたくさん持っているというが、そのせいで持て余して苦しんだり悩んだりすることが常である。それでも放って置いても勝手に生きるはずだよなぁと思う今日この頃。若いというだけで、失敗も痛手もその後もう何度もリカバリー出来る時間があるのだ。若さは脆く、壊れやすさもあるが、壊れたら治ってさらに強くなる。そのはずだが、今は壊れたら、壊れっ放しになってしまっているのが多くなり、社会全体でどうにかしようと、大人になった子どもの手当を親ではなく社会がやっている。手厚い支援をしているのだから、もう私が目を向けなくても手を伸ばさなくてもいいかなと思う。興味関心を他の人に委ねても良いなと思っている。

ただひとこと。そこまで子どもを社会で支援をしよう、という変化が生まれて来たことについて、私なりに思ったことを述べたい。

どこかの時点で大人である私のような人たちが、生れたときからいろんな意味で過保護にし過ぎてしまったかもしれないと思う。子どもは何度転んでも大丈夫、転ぶことによって転ばない術を学ぶのだ。なのに今はそもそも転ばないで育つ。まるで転ばせる親は悪い親、とでも言っているかのような世界。

親として過ごした自分がいるからわかるが、転ばせない方が親はラクなのだ。手当をしなくて済む。大体、何か怪我をして手当の仕方が分からないでオロオロするくらいなら、避けた方が良いと思ってしまう。情報もたくさんあるしね。何か事が起こって、自分が悪い親という烙印を押されるのはイヤであるし、傷ついた子どもを見るという事態を親自身が辛くて避けるよう行動する。子が傷つくのを見ているのは辛いし、傷つけないで済むならと思うのは自分にもわかる。

ただ、親子共に失敗等の痛手を負わないと人間って育たないなと感じて来た。生れ出たときから長い年月をかけて、怪我をした子とそれを見る親として、一緒に辛さを乗り越えて、お互いに手当をして育つものではなかろうか。親は心配しながら子の手当をし、子は辛そうな親を見て怪我という自分の身の回りに起こった一連のことを学ぶ。何をその怪我で感じるかは個人差もあると思うが、少なくとも親が側にいることの安心を学ぶだろうし、自分の身に起きたことで親に心配をかけたことを知るし、痛みを共感することも出来るんじゃないだろうか。もちろん、手当の仕方や怪我は治るということも経験する。親と共に怪我をしないように生まれたときからいろんなものを避けて育ったとしたら、そりゃあ10代になって急に自分の手当がわからずいるだろうし、親もどうすればいいのか知らずに急に慌てて、血を流して突っ立つよなぁと思う。

まぁ、ちょっと表現が飛躍し過ぎたかもしれないが、親子で何も一緒に乗り越えた体験をしていない気がするのだ。小さなことの積み重ねだ。一緒にいる時間がそもそもないよな。危ういと思うよ。ただの快適な箱を生み出すだけでは子どもは親との関係を学べない。精一杯働くという時間に、親子の時間を取られてないだろうか。いつも他人の誰かに子の手当をさせていないだろうか。関わっている時間が長い分だけ、気持ちが分かり合えるというのを知っているはずなのに、離れている時間の方が長くなっていないだろうか。子がお腹が空いたときに食べている物は誰が作ったものなのだろう?一緒に食べている?

もうこれは私がやることじゃないよな~と思う。みんな、自分の子を抱きしめるのに手いっぱいだ、という親でいて欲しいなぁ。自戒も込めて書いた。

では今日はこのへんで。