こんなに音があったんだから、そりゃあ今より増えたらもっと大変だよ。

室内楽の勉強会があったので、朝から出かけた。どんな感じで勉強会をやっているのかを見に行ったので、何も用意していなかったが、もし自分も全部の楽譜を用意して先に読んでいたのなら、さらに深く学習出来たんじゃないかと思う。まぁ、今回は本当に何も準備せず、室内楽を楽しむぞ程度で気楽に臨んで、結局ほぼ最初から最後まで終日参加してしまった。トイレ休憩以外はほとんどなくて、続けて6時間ちょっと。とにかく座り続けているのが一番大変だった。

そんな中、たまに曲が長く感じてしまって、うつらうつら居眠りもした。勉強会なので、けしてすべてが上手な演奏ではないから仕方ないことだし、こうやって人の習得過程の演奏を聞くのは努力のいることだったりするのだ。好きな演奏者もいれば、苦手な音を出す演奏者もいる。リズムが全くかみ合わなくて、音楽が前へ流れて行かない人もいる。一人で勝手にピアノを演奏してしまって、アンサンブルになっていない人もいて、様々だった。

特にピアノはアンサンブルをやる機会を作らなければ、感覚を養うことは難しいのだなぁと感じた。弦楽器の人たちはほぼ単旋律なので、他の楽器と合わせて弾く機会が多いから慣れているのだと思う。歌の人であっても、アカペラでという人はほとんど見かけないし、大抵少なくとも伴奏者がいることで自分以外の音をよく聞く機会があるなぁと思う。

一方、ピアノは発表会で見ていればわかるように、ほぼ独りで完結してしまうことが多い。合唱とかの伴奏を引き受けることが多い人なら別だが、独奏で楽しめる楽器ゆえに他の人と音を合わせる機会がなかなかないと自分でも思う。しかも独奏であったとしても、音数も豊富だ。だからピアノの演奏者が初めてのアンサンブルで音合わせをする際、自分のたくさんの音数が相当ある中で、他人の旋律の音も複数聞くということになり、考えてみたら結構大変そうだ。今回の演奏者は、きっとソロで弾いているときは上手なのだろうと思うが、これほどまでにくっきりと他の楽器の演奏音が別物として鳴っているのを初めて感じて、少し驚いてしまった。

アシスタントで入っている奏者の中に古楽器に慣れた人がいて、その人から演奏のリズムや弦の弾き鳴らし方が違う話を聞いた。ピッチも違うし、音楽とはどんなふうに演奏するもの、というのが現代とそもそも違うのだなぁ。書かれた楽譜の読み方さえ受け取り方が少し今とは違うようだ。一緒にあるピアノがその中でとてもモダンな雰囲気を醸し出し過ぎて、とても真っすぐで場違いな音を出している感じで、これがまたその時代の他の楽器ならば、もっと違うんだろうなぁと思って見ていた。

まあ、それでも今現代にある楽器で演奏するしかないのだ。ピアノのレッスンに行っているときも、よく言われることである。楽譜を読み解くとき、その時代の楽器ではない今のこのピアノで弾くのだから、よりいい音を探ろう、出して弾こうと言われる。きっと曲が書かれたときと置かれている環境も違うのだろう。湿度も日差しも、日常の雑音や騒音も。きっと丸っきり違うのだ。そもそも日本じゃないし。それでも弾くのだからねぇ。いい音を探そう、弾こう弾こう。

今日は自分の練習が全くと言っていいほど出来なかった。明日は弾こう。で、今はすごく眠い。では今日はこのへんで。