明日ヒロシマ・デイだ。そこから、たった100年を人間は被爆無し・戦争無しで過ごすことが出来るのだろうか。いつも戦争が無いという時代はなくて、私が生まれてからもせっせとどこかで戦っているのが現状だ。これは戦争じゃない、なんて言う人もいるだろうが、私から見たら戦争だよ。また一年、戦争によって自分が死んでいないといいなぁと思う。
何についても○○はイヤだ、という言い方の力が弱まっている気がする。嫌々~!って駄々をこねることなんて、今は少し喋れる子どもさえやっていないような。え?見たことあるならそれは貴重だ。ここ数十年、イヤイヤしている子どもも大人も見ていない。そんな自分の「イヤだ」を言えるような時代じゃなくなったのかなぁと思っている。あからさまにモノを言えば叩かれる時代になって、すっかり影を潜めていると思う。
だから敢えて言いたい。嫌だ、イヤだ、いやだ。こうやってのんびり暮らしていたのだ。自分の思った日々の暮らしをそれぞれが出来る世界であって欲しい。戦争なんてイヤだ。戦争が起こりそうになったら、世界中のみんな全員で一度ひきこもりになろうよ。一人ぼっちになって、一人でひきこもる。きっと寂しくなって、お腹が空いて、眠れなくなって、誰でもいいから話をしたくなるかもしれない。
ただね、その中にそれでも戦いたい人も出て来るんだよなぁ。どうしてなんだろうね。ちょっと面倒くさいけれど、その理由を聞いてあげようと思う。その「どうして」が自分としてはどうしても納得出来るものではないけれど、解消出来ることはあるかもしれない。解消出来たら、戦いたいなんて思わないかもしれないし。理由が無いのに戦う人には、抱きしめて「ハイハイ、よしよし」って背中をぽんぽんしてあげたら、それでなんとなくやる気が失せて、戦いたい気が治まるかも、とか。
どうなんだろうねぇ。戦争はイヤだ、なんて言っている私の方が駄々っ子みたいに思われてあやされて、黙らされている?うやむやにされているとしたら、どうなんだろうねぇ。それはそれで怖いな。いつか本当にイヤだが言えなくなって、爆弾だけ落とし合ってお互いが「はい、終わりね!」となるのはそれこそ嫌だなぁ。
話をしていられる間は、抱きしめたり、たまに背中をぽんぽん出来るし、納得出来ない理由をお互いいい形で解消して行ける可能性があると思う。ずっと根気強く、話をしよう。今自分が思うのはそれしかないなぁ。戦争はイヤです、と今はまずは言う。そこからだなぁ。
では今日はこのへんで。