自分がいた場所が狭いところなんだと気が付くためには、一度広いところへポンと出るといいのだろう。

パソコンを見たり、テレビの画面でずっと映画を見ていたりしていると、世界がそこの箱の枠内にしかないような視野になる気がして来た。スマホの画面ばかり見ているとそうなるような話を耳にしたなぁ。きっと同じような小さな画面ばかりでモノを見ていると、外へ大きく広がっていたはずの自分の感覚が片っぱしから削ぎ落されて、今まであったものが気が付いたときには外側が無くなって、感覚が小さくなっているのかもしれない。人の体って怠けると怠けただけの動きをする。良くも悪くも状況に合わせて変化する柔軟性があるのだ。今は要らないから・・・と使わないでいると、使いたくても使えなくなるのだろう。やばい。

買い物ついでに散歩に出る。ちょっと外に出ただけで世界が変わる。空気の流れはどこまでも壁が無いような気がするくらい流れて行く。音は一方向からではなく、全周囲から降り注ぎ、反射して反響する。帽子やマスクをつけてしまうと半減してしまうから、たまに日陰の涼しいところで、より休めるんだかより使うんだかわからないのだが、とりあえず帽子を手に取って外してみたりする。

世界は広いなぁ。物を見るのも、音を聞くのも、一方向ばかりに集中していたのがわかる。映画を見ていてもテレビの方向ばかり見て、小さな字幕をずっと読んでしまって、目は見開いてばかりで乾き、耳は一方向から聞こえない音を必死に拾っていたから、余計に疲れていたはずだ。たまには広い世界で伸び伸びせねば~。画面ばかりの世界は、自分の人生の中で使えたものが使えなくなるという退化に繋がっているよなぁと改めて思う。

少し遠回りをして買い物に出ただけだが、スーパーで知り合いに会う。ピアノの話で盛り上がる。今度一緒に連弾もしてみようと話して別れた。話をすると、人がいる場所なので他の人との距離の間合いを取ったり、会話の中にもいろんなことにアンテナ張っている自分がわかる。やっぱり外に出て誰かと会うと、映画の人物をただ見ているだけのとは違うなぁ。人は五感を使って情報を得て刺激を受けて反応しているのだろう。すごく細やかな何かを複合的に捉えている感じがする。神経が疲れる。でも心地いいのだ。

帰宅すると見えて来るものが変わっていた。家で映画ばかり見ていたらダメかもな。運動とお菓子作りをした。ついでにこのままで良かったはずのこの家の部屋の雰囲気を変えてみたい欲望が湧いて来た。夏も終わりだし、空気が変わったし。外から帰って来て、自分も家にいながら何かを感じているのだろう。欲望が刺激されるのは、自分の反応の感度も影響するのかもな。鈍っていたものが動くといいなぁ。わざと鈍らせていた?かもしれない。そういう時間も、どっちも必要なのだ。

では今日はこのへんで。