今日も昨日の続きだなと思うのは寝不足だなと感じるときだ。演奏会に行った興奮が冷めていないせいで、昨夜は普段より1時間ほど遅くに眠った。寝起きも悪く、二度寝してしまう。午前中は良かったが、夕方近くにピアノに向かうとすぐにうつらうつらしてしまった。ピアノに額をつけて少し休んだが、ちょっと危なっかしいので、ちゃんと椅子に腰かけてほんのひととき眠る。まぁ、それでもまだ眠い。
けれど、久々にシューベルトのソナタの楽譜を開いた。弾いて行くうちに気が付いたら目が覚めている。これはピアノを習い始めて間もない頃に、来日していたピアニストの巨匠が小さな会場でマスタークラスを開くことを知り、聴講しに行ったときに揃えた楽譜だ。その頃はその楽譜の曲などけして弾けるようなレベルでもなくて、聴講のためだけに買ったので、「弾けない曲集」みたいなものだった。が、今は少し開けば試しに音を拾えるようになっている。リズムも符の読み方もわかるところがたくさんある。こんなに上達したのだ~。
全部ちゃんと弾けと言われたら、まだ体が硬くなって、指や手が固まってしまうかもしれない。でも、頑張らないで音を楽しむだけでもいい。和音のメロディーを触るだけで空気が変わる気がする。歌うようなシューベルトの曲が弾けたらいいよなあ。一部分だけでも譜面を読んで鳴らしてみる。ソナタだから長いと思っていたが、それこそ聴講したときの曲は短かった。あのときレッスンを直接受けていたのが中学生だったが、この曲は割と短かったんだなと今は思う。中学生がもうこんな曲を弾いちゃうんだな、すごいなと思って、「自分には出来ないよ」と思っていた。思い込みが強かったのだな。弾きたいと言いつつ、譜面を開く、読むということさえちゃんとやっていなかったように思う。まるで自分で弾けるようになることを拒否していたみたいだ。気持ちの問題と練習の仕方、学び方があまり良くなかったのだろう。もったいなかった。今だったら、と思う。練習の仕方も気持ちもより良くなっている。だからこそ今やるんだ。やり始めて面白くなって来た。目が覚めた。
あのときの自分にかけていた言葉。この「自分には出来ない」という言葉を自分に向かって言ってしまうこと。これは自分を呪って、縛ってしまうみたいだ。昔は親から受ける何らかの良くない言葉ばかりを気にしていたが、今は親の言葉より、自分が自分へ投げかける良くない言葉を気にした方がいいのでは?と思う。親の言葉は離れれば物理的に聞かなくて済むが、自分の言葉はひとりでいても常に投げかけ続けられている。自分自身で呪いの言葉を吐いて聞いている、みたいな状況になってしまっているよなぁ。
以前ボランティアで話し相手をしていたときに、いかにダメな自分なのだということを話す人がいるわけではなかった。ただ「ダメな自分」という言葉を何度も言っていたのを思い出す。気分が落ち込む人に限って、言葉を繰り返してさらに「ダメな自分」というものを強化しているように見えてしまった。何度も自分で言い聞かせてたら、そりゃあ、根拠もなく思い込むよなぁと思ったものだ。まぁ、それ自体をやめられなくなって苦しんでいたんだとは思うのだが。
だからそれもあって、自分で思いつく限りの誉め言葉ややる気が湧く楽しい言葉を探して、メモっておくことを続けている。そして、自分に向かってつぶやく。自分を上手におだてるのだ。どうせなら機嫌良くなったり、やる気になったり、ホッとしたりした方がいい。
そうそう。この「どうせなら」ってことでいいのだ。軽い気持ちで、明るい方向づけとか動機づけをしてしまおう。シューベルトのソナタを弾けるようになるね。明日は楽しくなるね。今夜はよく眠れそうだなぁ。何だか気分いいね、とかとか。
では今日はこのへんで。