簡単に私のことを理解しているなんて思わないでね、と初対面のピアノに教えられた。

ピアノの練習会があった。ちょっと古いアンティークな感じのヨーロッパ製のピアノを使って弾く。練習会はいつもとにかく緊張をしながら弾く、という練習をするので、弾く側の割と近いところに人がいたり、行ったことのない街の慣れない場所で弾くことになる。ちょっとした遠出も、いろんな場所にある変わったピアノが楽しみで参加することにしているが、弾き始めてすぐに全然ピアノとコンタクトが取れないことに気が付いた。

つんと澄ました感じでフレンドリーじゃない。思っていたよりもものすごく小さなグランドピアノだったことにも驚いたが、鳴り方が今まで弾いたピアノとは違う。どこへ響こうとしているのかつかめない。鍵盤もタッチしたところから下の深いところまで行くまでが広い。音につかみどころがない。きっと上手い人だったり、もっと長く触っていられたなら飽きが来なくてきっと楽しいのだろうけれど、短時間で自分じゃ全然掴み切れなかった。

この感覚は何だか覚えがあるぞ、と思ったのが、子どもの頃に通っていた音楽教室の発表会で体験した感覚。習っていたのはピアノではなく電子オルガンだ。普段はカチカチと鳴るドラムマシーンを使って弾いているのだが、そのときは生ドラムにいきなり本番で合わせるというものだった。プロのドラマーの人が「合わせてくれる」のだが、こちらもどうしても合わせようとしてしまう。たぶん勝手にどんどん弾いてしまえばいいのだが、慣れていないのにドラムの音を聞いてしまうから上手く行かない。しかも、ドラマーの人は、こっちはプロなんだからこちらに任せろ、こっちに合わせようなんて俺を誰だと思ってんだ、お前下手くそなんだからチャッチャとやれや~と言うように不機嫌な目線を送って来ていた(と感じてしまっていた)。とにかく最初から最後まで非常に大変な思いをして演奏した。気分はそんな感じだ。この思い出の感覚と似ていて重なる。

響きのこともわからずタッチも緊張もごちゃまぜになり、上手くピアノとキャッチボールが出来ない。けれど、仕方がない。このピアノのことがわからないままだけれど、いいピアノだということはよくわかるから、きっと自分に勝手に合わせて鳴り出してくれるはずだ、響いてくれるはずだと、お任せするつもりで本番を迎えた。まさに体を預ける感じで臨んだ。リハーサルで弾き終わった瞬間にピアノがよくわからないと思ってしまい、緊張が増していたにも関わらず、本番に関しては弾き間違いはあったが、音楽は壊していなかったようで、とりあえず3曲弾き終わった。聞いていた人からはお褒めの言葉を頂いた。先生からもよく弾けていたと言われたので演奏はそれなりに出来ていたのかもしれない。自分でも落ち着くことは出来ていたかもなと思って、練習会の出来としては十分だ。

考えてみたら、そりゃそうだよなあと思う。ピアノのことがわからなくて当然なのだ。全てのいいピアノと出会ったときにすぐにコントロール出来るような腕があったら、練習会等になんか出ていないで、すでにピアニストになっているだろうよと思う。今日は心底自分の腕を磨かなくちゃいけないなあと思った。反応も良い分かりやすいピアノばかりではないし、そもそも自分がどこまでピアノそのものが持つ魅力を即座に理解し、演奏に反映させるかなんて、簡単に出来るはずがないのだ。はぁ~。ここのところ、思い上がっていたなぁ。自分に喝を滅茶苦茶入れられたなあと思う。

ただ、いいピアノは当然だが聴いているときに耳障りな音を出すようなことはしないから、一通り鳴らせばそれなりに美しく歌ってくれるのだなぁということも今日は体験出来た。ピアノ自身が持つ美しさに誤魔化され助けられた今日の私の演奏。仲良くお友達に~なんて到底なれない、どこか格の高いプライドも高いピアノ。でも懐は広くて深い。高貴なお方に出会ったような感じだ(会ったことないけれど)。

すぐに練習したくなって、自分の出番が終わったら帰りたくてうずうずした。他の出演者と休憩時間におしゃべりしたりお茶を飲むのも避けて今日は逃げ帰って来た。これからピアノを練習するぞ。

では今日はこのへんで。