そこにあるという事実よりも、あると自分が信じられるかどうかですね。

金曜という仕事終わりの曜日と学校が夏休みに入るぞということで、街中が混雑し始めた。制服を着た若者を早い時間帯からあちこちで見かけることとなる。にぎやかだ。ランチをと思ってあちこち店を見て回ったが、結局混み過ぎて断念した。家の近所でオレンジピールの入ったパンや塩バターパン、レモンペーストが練り込まれた菓子パンのようなものを買って帰宅。これから夏休みに入ると店が混む時期になる。一人のんびりランチは暫くお預けかなぁ。

ピアノレッスンの帰り道のバスの中。続々と学生たちが入って来る。学校の前のバス停で生徒が溢れてごったがえしているのを整理している先生の姿が見える。お願いします、と区切りのいいところでバスの運転手さんに声をかけて送り出していた。いくつかバス停を進むと、また乗り込んで来る人たちがいて、その中の一人が怒鳴った。「お前ら、詰めろ!」という声がした後、中にいた学生たちが順々に奥へ詰めて行く。怒鳴り声を聞いてバス中がしんとなる。バスの運転手さんが「怒鳴らなくても大丈夫ですよ~」と優しい声をかけていた。ほっとした空気が広がる。たった一言で、こんなに人へ伝わるものがあるんだよなぁ。怒鳴り声がしたときは突然緊張した空気になったがバスの運転手さんの一言で降車のバス停までの気分が救われたと思う。咄嗟に何を発するかで、日常が変わって行くんだなぁ。

バスの中で見ていると、一人の女性が音楽を聴きながら入って来て、通路に立っている背の低い小さめの高齢の男性にぶつかるような形で押し入るように奥へ入って来た。入るときにぶつかるのは仕方ないにしても、無言でぶつかって入り込むのはどうしてなのだろう。すみません、と一言あれば、その男性も気が付いて間を開けられたはずなのだが。押し退けられてしまった後に、その女性を見ている男性の表情は少し眉をしかめて驚いているように見えた。それ以上のことは何もないが、その女性はその男性の表情を見ることはない。たまたま私が見えてしまっただけなのだが、きっと私も苦い顔をしていたことだろう。コレをまた誰かが見ているのかもしれないなあ。

そうかと思えば、バスの窓越しに保育園の散歩から帰ったばかりの子どもたちがカートの中で室内に入るのを待っている姿を目にする。一人の子がこちらを見る。笑顔を向けてくれる。というか、こちらが笑ってんだな。見えるんだ。たった一分もない短い時間の中で、なんだか途方もなく明るい気分になる。笑顔ってすごい。マスクしている自分の顔は眉毛と目しか見えていないはずだけれど、ちゃんと伝わるのだなぁ。バスが動き出し、その場を通り過ぎて行く。けして会うことはもうないけれど、手を小さく振った。通り過ぎてしまった遠いところで小さく手を振っているのが見えた。船や電車から、または逆からでも振っているのを振り返すのって何だか妙にオカシイと思っていたのだが、全然そんなことないな。何だか心が動く。

静かな電車の中で、本を読んで座っていた若い男性が急に立ち上がり、ドアの近くにつかまって立っているご婦人の肩を無言でちょんちょんと叩いているのを見る。最初ご婦人は後ろから急に叩かれて何のことがわからずにいたが、肩を叩いた手の先を男性が元居た座席を指差していることでわかったようだ。一礼して座りに行く。そこには何も音はない。静かだった。こういうこともあるんだぁ。

この文面の向こう側に、たくさんの幸あれ。見えていない、聞こえない、知らない私の背後にも、きっと人のドラマと幸福が転がっているはずだと少しは信じられる気が。

では今日はこのへんで。