きっとずっと草ブログである。書いたブログの文章を楽しみにしてくれる読者というものがいたとしても、さらにもし稼げるようになったとしても、注目されるようになったとしても、私は草野球ならぬ草ブログのままだろうと思う。素人は玄人になることがあるのだろうか。プロとはなんぞや、である。
書くことも、歌も演劇もピアノ演奏も、プロって何かなぁ~とずっと思って来た。そして今も思っている。生業にした人はプロなのかなぁ。今のこの時代になって、さらに境界線が本当にわからない。アカデミックに学んだ人がプロである、と昔のピアノ教師は私に言って来た。そのときもそうなのか?と思っていた。
それなりに集客数を集めてやっていた演劇集団の人たちと付き合いがあったときは、彼らはアマチュアだという自覚の元に活動していた。ふぅぅん。そうなんだぁ、と思った。音楽の学校に通っているときには、セミプロというものは全くプロではないとハッキリ言われたが、バンド活動で知り合った人の中にはセミプロです、という言い方をしている人がいて、プロって自称なのかなぁとも思った。大金稼げてナンボなのか。わからんなぁ。ああ、でも大手レコード会社からデビューした知り合いを見たときは、プロだなとは思ったなぁ。
ピアノの演奏する人も、どこまでがプロでどこからアマなのだろう。いい演奏をする、魅力的な演奏をする人であっても、プロじゃない人はたくさんいる。一定の水準以上の演奏を継続的に表現し続けることが可能である、という自覚がある人かなぁと見ていて思うが。うーむ。
ボランティアのプロ、みたいな人がいるじゃないか。稼いだりしていないけれど、あちこち顔を出して常に活動している人たちがいる。ああいう人を呼ぶときプロって言ったりする。専門的に従事しているからだろう。ダラダラあちこち不定期にボランティアに行っている私なんかはプロじゃないなと感じる。どれもこれも、私はアマであるなぁ。
それで、このブログに戻る。たぶん、いくら書いても気分はきっと草ブログを求めていて、自分の中に留めておきたくないことおきたいこと問わず、どちらかと言えばしょうもないことを文字に変えては外に駄々洩れさせている状態が好きである。今日も何も考えていない。少しいろんなものから自由になったからかもしれない。頭は空っぽ、感覚は鈍鈍(にぶにぶ、またはどんどん)、目をつむればそのまま息を吐いて呼吸を忘れそうになるくらい、生きているのが軽くなっている。稼ぐ仕事を辞めて、生活力というようなものがない方向へ向かっているはずだが、自分はますます生きることが楽しくなっているなぁ。
おそらくだが、世の中で稼いで生活をするという基本的な暮らしというものからかけ離れているということの方が、私には生きやすいらしい。存在の軽さがものすごくいいのかもしれないなと思う。その方が私の普通の生活ような気がする。
ある人が言っていたなぁ。働くという習慣のない生活をしている家族の中で育った子どもは、日常的に働くという姿を知らないので、働く概念というものが感覚的に育ちにくいとか。自分の育った環境は、けして働いていない家ではなかったはずだがどうだったろうか。
一人は外で働き、一人は外では一切働かず家で家事をおそらく完璧と言われるような感じでやっていた家で育った。たぶん家事をやっている姿をそばで楽しんで見ていて、自分も小さな頃から好き好んでやっていた気がする。結局は選んだのだろう。病弱な自分は外で働くことに早い段階で見切りをつけていたにもかかわらず、外で働く以外の違った働き方への想像も真剣にはしていなかった。外で働く力を得るためのようなことをそもそも考えもせず、家で過ごしながら楽しむ力だけを備えて来たのではないかと思う。
ただ実際には働いて来て今に至るまで、そのことをどうやら自分自身で認められなかったわけだが、今じゃすっかり受け入れ始めたら、ちょうどいい感じがしている。いつかまた仕事を始めるにあたっては、きっと「いやだなぁ。」と思うのが当たり前で、ウンザリするだろうなぁ。それも仕方のないことだ。嫌々外で仕事をする。そのときはぐったりして、草ブログをいつまで続けられるかわからないが、今はまだ綴る時間はある。だから戦略練ったりしないでいられる、仕事にならない、いつまで経ってもプロではないブログでありたい。
では今日はこのへんで。