へ~ほ~ふ~そ~の達人

朝から地域と学校、保護者を結ぶ会議に出る。挨拶すらまともに発していないのに、話をしなくてはならない場面がある。今年度初、異動や何かで初対面の人もいるだろう。自分のことを知らない人は、私が話すと何だかびっくりされることもある。何も驚かせるつもりはないのだけれど。なぜか突拍子もないことを言う、と思われたこともある。そんな感じの人間なのに、さらにこの調子で行くとやばいなぁと思う。

数日家にこもりっ放しで、昨日もケーキ屋の店主と少しばかり話をしたが、どこか思っていることを堰き止められないみたいで、だからこそ言葉を止めようとして、どこか言葉につっかえる。シドロモドロである。いつもと違う変なリズムで会話してしまった感がある。店主だって、仕事に没頭してからのたまたま手を休めるひととき、みたいな感じのせいで、こちらに向けて一方的にしかもぎこちなく話しているときもあるから、お互い様ではある。だから、変だなという感じも当然のようで、お互いに言葉を出して変、出されて変といった具合。まあ、だとしたらいいコンビかもしれないかもだ。

まぁ、それはそれで。話し言葉と書き言葉じゃ、頭の中と口の動き、目と手の動き、をそれぞれ組み合わせて連動させるわけだからどう考えたって神経の伝わり方が違うのだ。やっぱり自分には両方必要で、書くだけじゃなく会話を日々しないとなと思わずにはいられない。どこか「話す」という自分の体の動きや思考、行為をすっかり忘れてしまうからだ。先ほどの店主のように慣れている相手ならいいとしても、初対面の相手には伝わるものも伝え辛い気がする。今後もどうしようかと思ってしまった。

毎日何か話をするなら、と考えて、英会話とか趣味の教室みたいなものも考えて、オンラインの英会話とかどうか?と探してみた。金額も安く、しかも会話して学べる。おお、いいかも、だ。だが、画面を見て話すなら他のことを家でやっているときと同じである。多少相手からの反応がある、という意味では同じかもしれないが、伝わって来る匂い、空気感や立体感から生まれる細かい肌で感じる情報を得られない。人と会って話をするというのと大きく違うので、オンラインはダメだ。もし行くなら教室だなと思って振り出しに戻った。

昨夜の今日で何が出来るわけでもなく、そのまま今朝の会議に突入である。会議が始まる前に、顔見知りのボランティア仲間と少し話したり、前回会った人とも話す。けれど胸が高鳴る、みたいにドキドキしてしまう。空気感を感じ過ぎて、もしかしたら学校の先生たちのドキドキが伝わって来ているかもしれない。自分の体が勝手に余計な反応を吸収している。ああ、こんなんで話す場面が回って来たらいやだなぁ。

・・・というところで、結局自分の番が来てしまう。もう一人の仲間に話してもらうことも出来たはずだが、どうしても伝えたいことを思い出して、まさにシドロモドロ全開な雰囲気で話す。なぜか進行役の先生の目が合い、いつになく緊張した面持ちでこちらに刺さる。あ、もしかしてさっき言ってた「時間配分」とか「短く!」とか「うまく話せよ」とかいう圧をかけて来ているのか。

「ごめんなさい。長くって。」と話を続けてしまった。上手くもないのに、話を止めない。悪目立ちなど、いつもしてしまうし、どうせいいか。というより、話が上手くないからこそ長くなるんだよ。ごめんね。謝っておいてなんだが、謝っていないようなものだ。ただ伝えておきたいんだってばってことで、圧にも負けずシドロモドロは続く。

以前高齢の男性がうずくまっていた際に、ここの中学生に声をかけてもらえて協力してもらったんだ、という話をした。親や先生たち、地域の人の後ろ姿を見て育ってんだな~、未来明るいな~とかなんとか。とりあえず、話し終えてPTAの役員さんたちの方を見ながらお辞儀して終了した。あ~、終わった。オワッタな。伝わってないかもしれない。ドキドキの余韻が残っていて、身がぶるぶるである。でもやるだけはやったぞ。家に帰ったら、ひとり自分で自分を褒めてやろう。よしよし。でも先生の目が怖いぞ。長くなっちゃったし、まとめるの下手だし。ひょ~。

早速、進行役の先生が言葉を発して来た。「お怒りの言葉が出るのかと思ってビクビクしておりました。」まさか褒められることがあったんですね!とすぐさま関係者の人々の顔に安堵感が見えた。なんだ、あの視線は学校側へ向けられる叱責かもと思って緊張でこわばっていたのか。そんなこと言わないって。みんながんばっているのだから。自分も何だか半分くらいしか伝わっていないかもと思ったが、聞いていてくれた人がちゃんといたようで、後で話をしている人の中に私の話した内容に絡む言葉を耳にした。ふう。良かった。

初対面のところで話をしなくちゃならないときは、みんな自分のことばかり考えているよな、そうだよなぁと思う。自分だけじゃなく、いろんな意味でみんながみんなドキドキしながらの会議である。自分だけではないのだ。どこの校長先生も修学旅行や体育祭、遠足等、行事の最中を駆け抜けて疲れた体を押して、たぶん頭の中も「ちゃんと言わないとな」とか思いながらここに集まっている。地域の自治会長さんたちだって、「アレ?この会議とあの会議とごっちゃになっているかも」みたいな話もしている。みんな同じであった。働いて、どれだけ動いて会話していても、何十通りの話をしていたとしてもである。やればやっただけいいわけでもなさそうである。

それにしたって、元々上手に話が出来る訳はないのだから、毎回ビビる必要もなく、いい訳しなくてもいいはずなのに、今日もやってしまった。いいのだ。ただ話せば。私はそれ以下でもそれ以上でもないのだから。ああいう場は受け取り上手、聞き上手の人が多いし。頑張る必要なんてないのだ。

帰りに会議を今日休んだ仲間の資料を家に届けるために、少し遠回りをした。そうやって外をほんの少し歩けば、誰かにつかまるのだ。「お疲れさま」「ちょっと愚痴」「仕方ないこと」とかそんな感じで、話の内容はetc.である。シドロモドロはどこへやら。会話しているじゃないか。自分の言葉も出て来るが、誰も私が上手で適確な素晴らしい話をすることなんて期待していないのだ。大体聞いているのがほとんどなのだ。それが自分でも心地イイ。やっぱり英会話でも趣味の教室でもないよなぁ。単純に外へ出て、そのへんをほっつき歩けばいいだけだ。

では今日はこのへんで。