仲良し夫婦の声が畑から聞こえる。畑仕事中に急な悪天候にならないといいが。今も窓から差す日差しは暗く、部屋の隅っこの暗さが増している。たまにボタッ、ボタッ、と雨が落ちて来ている音もする。と言っている間に、ザーッとスコールみたいな大雨になった。雷もガンガンだ。夕方早い時間帯から雨戸を閉めた。仲良し夫婦は家に帰り着いただろうか。
今日は天候がいつ変わるかわからないから、朝から早めに買い物に出てみた。図書館も寄って、支払いのためにコンビニに入り、郵便局もついでに。
平日の昼に動くと、どんな人が歩いているのかとても興味が湧く。見かけが4、5歳くらいの女の子がお母さんらしき人とアパートから出て来る。日本人じゃないのか?女の子は何とも書きがたい言葉を歌うように発しながら歩いている。同じような年齢の子がああやってお母さんと二人で過ごすのと、保育園や幼稚園等の同年代の仲間と遊んで過ごすのとは、きっと違いが出るんだろうな~と思いながら見ていた。どう違いが出て来るのか。それぞれ苦労する分野とか種類とか違うんだろうなぁと思う。きっとそれぞれが見えているもの、感じているものが異なって、得るものが変わって行く。それがいいかどうかは本人が後々考えることになる。機会を得られるということは、他の機会を失っている。どちらもきっと同じだよなぁと最近は思っている。ちょっと問題ありで子どもにとっては大変そうなお母さんに見えたが、必死に歌いながらお母さんを追って行くその女の子自身が幸せな人生を自分でつかんでいくのだろうと思う。どんな状況下でも幸せになるには自分から望む幸せに「なりに行く」しかない。こちらが勝手な想像をして見ていたら、お母さんらしき人がタバコを吸いつつこちらをちらっと見て通り過ぎた。何を思ってこちらを見たんだろうな~。
図書館へ向かうと、自転車置き場で町内で顔見知りのご婦人に会う。「あら~(久しぶり)。」とひとこと。それだけのことだけれど、挨拶出来る人が近くにいるとそれだけで自分の生存を確認できる。こんにちは(今日も元気そうですね)、と言いながら過ぎる。この辺りのご婦人たちは本当に元気。この坂だらけの町を若いときからあちこちへ歩き回って、人と会い、楽しんでいるからかもなぁ。足腰が日々鍛えられ、たくさんの人との出会いで頭の回転が速いまま年を重ねている。少しでも自分もそうでありたいが頭がちょっと~と思いながら、車に乗らずどこへ行くにも余分に歩くのは続けている。歩くくらいは、ね。そんな自分と違い、きっとこの後、あのご婦人は隣の地区センターでスポーツだろうな。75歳の年齢を過ぎても、テニスやダンス等欠かさない人が多い。高齢だと思うが、みんな年齢不詳だ。元気な人に元気をもらいながらそのまま自分は道を進む。
図書館に入ると曜日のせいなのか、人が少ない。自習室の机がほとんど空いている。それとも時間帯のせいだろうか。若いときに自宅で仕事をしていた時期があるけれど、その頃に図書館に来るとなんとなく居心地が悪い場所だと思っていたときがある。なんとなく、でしかないが、ここは疲れた大人の吹き溜まり、もう世の中から外れた人たちがいる、行き場のない人たちが集まる場所のように感じていた。自分もそう思われたくなくて、暫く行くのを止めた時期もある。勝手な物の見方だったなあと思う。どこかで自分自身がどこにいてもその当事者だったんじゃないかと思う。世の中から外れた人とか、疲れた大人のような感じだったのだろう。今は無職だろうが、好きでこの生活しているから別にそんなことも思わないのだが、きっと「好きでこんなところにいるわけじゃないんだ」という気持ちが強かったのだろう。そこにいる自分が嫌だったんだろうなと思う。
変われば変わるものだ。平日に図書館にいるなんて、いいじゃないかと思う。周りを見回すと退職されたらしき男性が寝ている。本当にスヤスヤで気持ち良さそうだ。子育て中だが数時間手が離れた自分のひとときを味わいに来ているような女性、何か面白い趣味につながりそうな本がないかあちこち探す女性等。今日は女性が大半だな。また数年経ったら、自分はどんなふうに思い、ここでどんな振る舞いをしていることだろう。来ているかな?来るだろう。今は、ただ本棚の間を回り、つまみ食いするみたいに適当にささっと選んで数冊借りる。自分では普段読まなかった分野の棚に行くようにしている。図書は古くても、自分にとって新しいものがあればいいのだ。出口に向かうところの文庫本の棚の前には高齢の方が多い。ああ、たくさん借りても小さくて軽いもんなぁ。今度見てみようと思う。
帰宅すると今年の子供向けボランティアの募集に応募が集まりました~と連絡が来ていた。担当を今年は真面目にやらなくてはならないな。ほんの少し面倒くさい。計画立てて何かをやるというのは苦手だ。一生懸命になってしまい、どっぷり浸かって疲労困憊になりがちだ。午後から名簿作成やら問い合わせ、連絡先の確認等で他の仲間と連絡を取ったりしていた。まぁ、どれだけ不器用でも面倒くさがりでも、このままの自分でコツコツとやって行くこと。どうしても集中して先走るので、食事を取るのを忘れないように時間を決め、ひとつ何かをやったら手を止めていた。そこに、ちょうどよいタイミングで、ブレーキを仲間がかけてくる。「これからで」「急がなくていい」こういうふうに止めてくれる仲間がいることが今やれている一因だ。ひとりで活動は難しいかもしれない。だけれどひとりでやれって言われるんだろうなぁ。ストッパー募集するか?またはどんどん一人でやっちゃうかだ。
まあ、こうやって、ああでもない、こうでもない・・・と上手く出来ているとは思えない時間が頭を活性化させるのだなと感じている。何もしていないでぽわーんとしている日よりも、雑用みたいなことでも自分の行動や言葉に変化がある。実際の役に立つ・立たないは必要ではなくて、自分がやろうとしてやっている状態に意味がありそうだ。一見無駄そうな時間が自分にとって無駄じゃない。上手く行かない、ってことですら、生きている充足感を味わうのだな。いつもいつもじゃ辛いかもしれないけれど、人との間に入って何かを考えたりするだけでもいいみたいだ。少し退屈とか暇なときは「ごちゃごちゃ」な感じで、何かやろう。
では今日はこのへんで。