そちらに雷さまはいらっしゃいますか?と書いて、ラムちゃんを思い浮かべてる。

床に寝転がっていると地響きと共にかすかに雷の音が聞こえた。まだ虫も鳥も騒いでいるけれど、空を見ると半分くらいが黒っぽい雲に覆われていた。やっぱり毎日雷が鳴って、夕立が来るのだ。人間の都合に合わせてはくれない。涼しくなった夕方に買い物に行きたいと思っていたのに、とか、帰りに雨に降られたくなかったのに、とか困る事態になる。今日は早めに図書館に行って、興味のある新しい本を数冊借りて、予約した本を受け取り、その足で少し買い物も済んでいるから、これから無理に出かけなくても大丈夫だ。

けれど、ちょっとケーキを食べたいなぁと思ったり、カフェで過ごそうかな?と思ったりしたときには出かけるのを躊躇することになる。天気に合わせて今日は家にいるしかないな。明日はピアノの練習会だから、もっと指を動かしておこう。遠くで救急車の音がする。自分とは違って世の中は天候に関係なく動いている。

ひとまず2階の窓を閉めておいた。雨は降っていなくても、雷が入ってきそうだから。昔は「カラ神様」と呼んで、雨が降らない雷を恐れていた。実際音がする場所は雷が落ちる範囲らしい。だからそんなふうに言って、音がすると危ないからと言って建物の中に子どものときはすぐに隠れていた。雷が鳴っても明るいときには道を急ぐ人は少ないし、今はあまり気にしていない人が多いのかもなぁ。私は怖くて、この間も駅から帰宅中は時計を外したり、帽子をかぶり直したり、木が多いところを避けて急いで小走りで帰ったりしていたが、急ぐ人をほとんど見なかった。何かみんなは平気なのだな~と思ってしまった。

けれど、最近見ていた海外ドラマの中で、砂浜に遊びで埋められた男性に雷が落ちるシーンがあったが、きっとそういうふうに雨が降らない場所で、海水面に落ちるのではなく、砂浜のような乾いたところにも落雷はあるのだろう。砂浜に雷が落ちると結晶化したガラス質のようなものになって固まっていた。自然の何かが引き起こす状態というのは、きっと普段の人間の想像の範疇を軽く超えて行く。ドラマは作り話だが、地震、雷だけでなく、単に雨も集まれば実際に災害になっている。侮れないよなぁ。

外国の間欠泉がある観光地みたいな場所でも爆発が起きて被害を受けている人がいたし、今までなかったこともこれから体験する機会が増えて行くのだろう。きっと今までなかったのはたまたまで、地球の誕生から考えたら人間みたいなものがこれだけ増えて広がって、元気に過ごしているというのはほんの短い間なのだから。隙間に生まれて死んでいく生物のひとつなんだろうなぁ。個人から見たらどうしても長く感じちゃうけれどねぇ。

自然の一部と言っていいのかわからないが、人間に比べて、したたかに種を残して後から芽を出す植物の多いこと。時間をワープするみたいに自分が育つ環境にちょうどいいときが来るまで待ち、芽を出す。そんな感じで化石みたいなものからも生まれて増えて行くことが出来るのだから驚きだ。蓮だって、相当昔の時代の種が水を含んで芽を出して、今現在増えている種類もあるのを聞くと、人間とは違う生き延び方をしていてすごいなあと思ってしまう。しかもちゃっかり人間を使っているし。人間は興味をそそられて植物に使われているのだと思う。やられたね~。

身近なところでは、この間家族からもらったマンゴーの種を開けて、種を水に浸けている。それだけで芽を出して来るのだからすごい。見た目、とても変な芽が伸びて来ている。最初は芽なのかわからず、ただの皮がちょろちょろと崩れているだけかと思っていた。今は5cmほど立ち上がってすくすく大きくなっている。以前食べた後のりんごの種を最初は小さな植木鉢に放り込んで水をかけてただけなのに、いくつか生えて来たので少し大きめの鉢に入れ替えたら、あっという間にひょろひょろ伸びて1m近くまでに成長した。何だかとてもたくましい。こんなことを言っている私も植物にきっとこき使われ、やられているのだなぁ。ははは。もし実がなったら少し分けてもらおう。利用し、利用される関係だ。利用してもお返しをくれるっていうのがえらいよな。

蝉が強く鳴き出して来た。空も少し明るくなっている。雷雲が少しこの地域を避けて通って行ったらしい。良かった。散歩でも行くかな?鬼の居ぬ間に洗濯って気分だ。あれ?今の時代、空に鬼はいないですか。雷様って昔は鬼だったよ。

では今日はこのへんで。