大きくてわかりやすいものに囚われがちだけれど、小さなところに逃げ道があるのに見ようとしてないだけ。

ここ一週間、時間があるときに見たかった映画や海外ドラマをずっと見ていた。テレビの契約と違って、ネット契約のものだと好きな時間に好きなだけ見られる。12時間とか見続けて、一日で海外ドラマなら1シーズン位は見られる。今、ちょうど2シーズンは見たなぁ。これを書いたらまた見る予定。

こうやって、子どものときからゲームでも何でも続けてしまって「それじゃダメでしょう」と周りから言われるくらい続けてしまう割に、意外とリズムのある生活が出来るのは、それこそ子どものときにすでに「もうこれはいいかな」と思うような、自分で納得して止める体験をして来たからかなと思う。来る日も来る日も、飽きるまでやって、自分の中で終了の合図が出るまでやる。そんな子ども時代。実際には途中、体調不良もあるし、学校に通う時間もあるわけで。それでも時間の許す限り、「飽きるまでやる」経験から、自分の気持ちには旬と体力の限界はあるものなのだと知っていることは、今の自分に影響しているのかなと思う。ダラダラ続けるのも、急に止めるのも出来るんだよなぁ。

親が「もう止めなさい」という言葉で叱って止めるのではなく、「あまり根を詰めるなよ」という言葉を多くかけてもらい、体力の無い自分のことを気遣って心配はされていたが、夜遅くまで夢中になってやっていることを奪われたり、取り上げられなかったことはありがたかったのかなと思う。もし止められてばかりいたら、違う結果になっているかもなぁ。

話は元に戻る(戻ってるか?)。今はネット契約だから、好きなときに見たい物を選んで、止めたり出来るのがとてもありがたい。もちろん休憩せずにずっと見続けて忘れていることもあるのだが、トイレに行くとか食事をする、運動する、家事をする…等の必要最低限の体のためにやった方がいいことは取り入れている。一本見終わったら、ポチッと止めて、10分から15分位はトイレや料理や家事などをこなしている。ただ一時停止をすると、そのまま忘れて他のことをやり始めて、電気代がもったいないこともあるから、一度消すということもしている。休憩の間に一度ピアノを弾いてたりすると、結局ピアノに集中して気が付けば2時間近く弾いてから、テレビに戻ることもある。要は自分が集中を切るタイミングを自分で予め決めておくと、隙間時間をきっかけに他のことにも取りかかることが出来るのだ。

やりたいことが一杯あるとき、やり始めたらひとつのことに集中しやすい自分は、わざとあれもこれも手に出しやすい環境に身を置く。一緒に同時に並行してやることもあるにはあるけれど、目の前のひとつのことに集中した方が満足感が高いなと思う。あっちもやりたいな、とか気になる、というようなときはやりたいことのすべての場所を作って広げておく。自分の体はひとつしか使えるわけではないし、意識も一つの方向へしか利用出来ないから、やっているときはひとつのことだけだ。自分のこなしたいものを並べ、時間を区切れるタイミング(私の場合はトイレとか)を決め、その隙間時間に「これやりたいな」と思ったものに向かって気持ちの赴くまま移るだけ。

こんなことを書くと、部屋が取っ散らかっていそうな雰囲気だが、物がそもそもないことと、やりたいことはあってもやらなきゃいけないことが少ないからか、どちらかと言えば部屋はガラーンとしている。やらなきゃいけなくて、やりたくないことがたくさんあるときは、その中でものすごく小さな「これだったらやってもいいよ」を自分の中に見つけておくようにしているのだ。

例えば洗濯物を取り込んだ山が出来てて、片づけなくてはと思っていたら、とりあえず取り込んだだけで◎だ。その次にその山の中にある「タオルだけ1階へ持って行くか」とか、「靴下だけはしまっておこうかな」とか、ちょっとだったらやってもいいよ、という自分の中の旬の小さなやる気を見逃さないでおくのだ。その小さなやる気に従うだけ。すると洗濯物の山は大きな山ではなく、少し小さな山になる。と言っても一人暮らしだから元々小さな山だ。けれど侮れない。小さな山が積もり積もると大きくなるのはすぐに想像がつく。小さな山に対して、とにかく自分のやる気のあることをやる気のあるうちにやって、さらに小さな山に崩して行くようにしていく。よって、今も小さな小さな自分のやる気を見逃さないように生活して、なんとか暮らしを保っているから、長い時間テレビ画面を見ている割に部屋はそこそこ片付いているのだ~。

・・・また無駄なことをダラダラ書いてしまった。昨日でブログを続けて半年だったらしい。ブログもやりたいことでありながら、やりたくないこともあるという矛盾した行為。PCの画面を見ていることというのは、やりたくないことのひとつなんだよなぁ。やりたくないことの中にやってもいいことが少しあったり、やりたいことの中に少しやりたくないことがあったり。大きな気持ちの中に小さな気持ちは必ず混じっているもんだな。自分の気持ちの中で多数決みたいにわかりやすい大きなところだけ見ようとして、みんな目をつぶってしまいやすい、そんな小さな気持ちの方を大事にしてみると、動きやすいなぁって思うのだ。このブログだって、PCのスイッチを入れるところからだ。

では今日はこのへんで。