猛暑を想像して暖を取っている日

2月の寒さに逆戻りだそうだ。暑くて困るよりは重ね着をしてストーブを点ければ済むこと。今の方がとても楽だ。今年はこのまま薄暗い小雨や曇りの天気が続いて、8月頃になってパーっと暑くなる夏が来ちゃったりするかもなあと怯えている。憂鬱な曇り空からいきなり35度超えの暑い夏はしんどい。洗濯物がずっと乾かない季節から、一気に乾く季節へ。季節が春の嵐から憂鬱な梅雨、そして猛暑とかか~。もう想像して嫌になる。晴れた穏やかな日が恋しい。植物にとっては、人が欲しているそういう穏やかな気候の日々が長く続いたらダメなのか?梅雨が長くなれば、きのこは盛大に育ちそうだが。どうだろう。上空のところまで胞子が上り、冷たい雨を降らせていると言われている日本のきのこはきっと今も活発に活動していているはずだ。何せ、この雨だ。桜も苔むしている。家の中の木のベンチもカビやら苔が生えて来たりしないかと思ってしまう。穏やかな晴れ間よ来~い。

昨日、ピアノの先生が著書の改訂をするにあたり、レッスンに通って来る人たちにも感想などを出して欲しいと話があった。本の話から文章を書くことについて話が盛り上がり、最近ブログを書いていることとか余計なことを話してしまったせいで、文章を期待されてしまうかもしれない。ご無理のない範囲で・・・・とは、私にとって無理のない範囲とはどんなものだろう。書くことに無理はないけれど、書いている内容が人様に向けて読ませるのが無理、とかあるかもなぁ。それに、どこまで書いたら自分がある程度納得出来て相手に渡せるものになるのか。最近は考えて書いていないせいで、見当もつかずわからない。ここまででいいや、とまとめるって難しい。欲が出ているのかもなと思う。

それでも、基本的に習って良かったことを書いて行けばいいのだよな、と思って今朝から3000字ほどは書いてみた。無駄に長い気がする。もっと短く、自分のことを書かないでいいのに、ほとんど省くか?と思いながら書き進めた。そのまま放ってある。明日になったら気が向いて読み直したりすれば使えるかもしれないけれど、ボツだろうという予感あり。寝かせておけばすごい文章になる~とかあればいいがそんなものはないしな。きっと寝て起きた頭がすでに内容を再編集して、即刻書き直しだろう。

今日は家族がまた旅行へ出て行ったのを境にして、ピアノを弾く時間を持つことも出来、本を借りに行くことも出来た。数日はひとり過ごせる。ということはかなり時間がある。困ったことに、家族と過ごすことに慣れてしまい、ひとりの時間はどこかほっとしつつも、今度は人恋しくなるのも早い。自分はとにかく好きで熱中しながらも飽きっぽいということだ。無いものねだりのように、あちらをやればこちらをやりたくなる。仕事をしていたら、仕事じゃない生活を欲しくなる。だから、やりたいことをいくつも並べて同時期に代わる代わるにやっているのがちょうどいいのは分かっているのだが、こんなんでいいのか?と頭の中で変な罪悪感を持つこともある。飽きっぽいって言葉のイメージが悪いのだ。

イメージが悪かろうが結局は一日に詰め込んでいく。体力もないから睡眠時間は削れない、食べる時間も重要。人とは遊びに行きたいが外に出てばかりだとぼ~っとする時間が欲しくなってくる。しかも今日は「あれ作りたい」物作り熱や「今はあの食感を」で焼き菓子作りもちょいちょい挟んでくる。材料を買いに出てしまった。借りた本は読みたいタイミングで一気に読まないと、などと今も書いているそばから思っている。これを書いたら読むのか?寝るのか?

何度も自分のためにこうやって書いては、またやっている。懲りない、変わらないんだなと思う。一日は24時間、体はひとつ、頭もひとつ。どれかを選んでいるときは何かをひととき捨てなくてはならないのだ。さあ、どれを捨てるのか。選ぶのは気分が乗る方だ。それだけは決めている。捨てると言ったって、すぐにまた捨てた方を手に取るのだ。完全に捨て去るわけではない。捨てた方の気分ややる気はどこかでまたポンと前に出て来て再利用が出来ている。こうして書くと何だかエコだよなぁ。持続可能って、飽きっぽいことがものすごく気長に続くことなのだなぁ。なーんだ。そうか。気分でころころ変わりながらそれが長く続くって意外と普通の人間っぽい。波があるだけだ。絶え間ない波が人生か。なんかいいぞ。ゆらゆら~。

何ともしまりのない感じだがそれもいい。では今日はこのへんで。