母の日になぜか父から受け取った

大雨の予報で昨夜はビクついていたが、さほどひどくない朝を迎えた。けれど、明け方近くに急にしんと静まり返った音が聞こえたかと思うと、細い針でも何かに刺しているかのような、たくさんの小さな点々みたいな痛そうな音が遠くから聞こえ始め、近くを渦巻いているのが聞こえた。目を覚ましてしまった。ただの雨の音だ。風に舞う強い雨の点々の集まり。目で見たら漫画みたいに立て線がひとつの固まりみたいにまとまって動いているのだろうか。予定より早く目覚めてしまったが、暗い日差しを想像して窓を開ける気にもならず、そのまま二度寝した。

太陽フレア、とか何とか。先日北海道の空をずっと撮り続けているYouTubeを見て、その時たまたま知った。衛星が動いているのが見えたり、空が赤くモヤモヤしているのが見えた。これはオーロラ?それとも地上の光が反射しているだけ?解説がないから結局わからなかったが、オーロラが見えたんだとしたらラッキーだ。よしよし、そうしよう。あれはオーロラを見たんだな~。だとしてもどうってこともないのだが。生の肉眼で見ないとやっぱりね。ツマラナイ。

本当だかわからないけれど、大昔日本でもオーロラが見えた話を聞いたことがある。それがホントかどうかより、もしそんなことがあったとしたら、きっとその頃生きていた普通の自分のような人々は慄いていただろうなぁと想像し始める。絶対怖いって思ったが、もしかしたら幻想的な目の前の現象に「素敵~♪」と言っていたりして。知っていて怖いのと知らなくて怖いのはどちらがより怖いだろう。知らないまま、ただ夜空を見ていたかもしれないなぁ。誰と一緒に見たのかなぁ。狂って困る電子機器などない時代、たくさんの人が実は寝ていたか、たまたま見ることが出来たか。大きなお屋敷の夜警の人たちが偶然それを見たかもしれない。思いを馳せるだけで面白いなぁ。人って目の前で起こっていない現象にも想像力で感じ取れることがいっぱいあるのだ。何もなくても自由の翼を持っているねぇ。何も手に持っていなくても、思考は自由だから、これは誰もが持っている財産。使わない手はない。誰にも盗られることはないしね。想像で遊べだ。

そう言えばAIがインタビューを受けている動画も見た。どう感じるか答えていた。穿った見方かもしれないが、感じるよ、と言葉で答えて伝えることは出来ても、AI自身が感じることを楽しむことは出来ない気がする。どうなんだろう?感情があるように周りに見せることは出来ても、本人が実は感じてはいないことなんて、人間にもたくさんあるわけで。どうやったらわかるんだろうね~。人もAIも。人は活発に電流の流れる脳の部位とかが異なるんだっけな。いつかAIもそういった実験なんかで分かる日が来るんだろうか。人が人であることを示すものはなんだろうと考えて作り出しているんだろうから、とても興味深い。自分が長生きしたらそれを知ることが出来る日があるかもである。元気でいよう。

図書館でまた本を借りて来た。読書は一人暮らしにもってこいだ。子どもの頃好きだった作家の中川李枝子さんの図書「子どもはみんな問題児(新潮社)」を借りて来て、ある文にドキッとした。子どもの最初の絵本との出会いは、親の膝の上から始まるということ。最初は親の膝の上が嬉しい。だから絵本だろうと、広告だろうと何だっていいのだと。そのうち居心地の良さよりも、本を読むのが第一の楽しみだとわかって、絵本やお話が好きになるんだとのこと。自分は母親が本を読む声も覚えているが、それよりも黙って新聞を広げている父の膝によく座っていたことをそのとき思い出した。父は新聞を2から3誌は取って毎日畳の上に広げてあぐらをかいて読んでいた。そこにもぐり込んで座っていたのだ。あの膝の上が自分を新聞好きにしたんじゃないかなあと思う。意外なところで気が付いた。思い出すと、今はとても懐かしい。

では今日はこの辺で。