こちらが見ているつもりでも、あちらからも当然見えています。

ブログを書いていることは教えても、どこでどんなブログを書いているか身近な人には教えていない。もし友人がこのブログに来るようになったら、その友人のことは書けない。だから、ひっそり自分のために書いている。まあ例外もあるのだが。

日記で雑記、とても私的な関わりの率直な気持ち等を書いている。この拙い文章で身近な人へ誤解を生む書き方になっていたらどうしようと思ってしまう。もっともっと若い頃は、それこそ身近な人のことも何となく意識して書いていたものもあるけれど、出来ればそういう気持ちが湧かないところで書きたいと思って書き始めたブログである。

その反面、誰も素顔を知らない世界でありながら、どこかの誰かというリアルな人のまなざしは自分にとって必要なのかもしれないなと思う。このブログについて星をつけてくれた人や読者になる人がいて、その人たちがどんな人なのかということに素直に興味が湧く。なぜ読んでくれるのだろう、なぜここに来たのだろう、何に引っかかって応答してくれているのだろう等等を考えて想像する。

それになぜか「こんな人が読んでくれたのか」と思ったりするときに、嬉しくなることもある。この人が読んでくれるのは嬉しい、一方でこんな人がどうして読むのか?と疑問が湧くこともあり、自分の反応の感覚の違いもあって面白い。なぜ一度も会ったこともないよく知りもしない相手であるのに、それぞれそんな反応を自分はするのか、人は不思議だよなぁと思う。

文字という世界は、伝えるのが上手い下手もある。そのことを気にするよりも、大体において自分は適当に書いていて考え過ぎず、わざと推敲をあまりしないでいる。繰り返しの言葉や頭に浮かんだままの文字を綴ることの方が、今の自分を明日の自分に伝えられる気がしているし、書いておきたい「生の自分」に近いなあと思って書いている。例えばどもるとか、言葉に詰まるとかも含めてだ。駄文を重ねて行くのも、とても大切な道筋を通っている気がしている。

画面一杯に「あああ」を埋め尽くすような人を最近見かけないが、そういう気分ってあるよね、と若いときに見ていて思った。作為的である場合もあるし、そうでないときもある。文字を読むだけではなく、目に見える印象ってものも文字にはあるから、いろんな伝え方があるよなぁと思う。見え方、受け取り方は様々である。それがやっぱり面白い。

今日はそうだなぁ。単純に嬉しいなぁ。反応があるって嬉しいよなあと思うことを書きたかったのかもな。このブログの場所というのは、スポーツジムに通っている友人が言っていたような感じの人間関係かもしれない。興味があって付き合うことも出来るし、仲良くならず離れててもいい人間関係。サークルみたいに全員べったり深入りするような友人関係を作らず、ほどほどに距離が常に保たれているような感じ。

興味はありますよ~と言われるのは嬉しいが、今から友達ねと頭をつけて急接近されてはちょっと困るのかもなあと思う。互いに好きなときに顔を出してニコニコしているような程度で都合のいい関係?やっぱり、目の前で頭をつけて「近いな」と思ったら、自分の目の前の距離を取る人とそうでない人を区別しなくちゃならないと思うから、それはちょっと負担。反対に相手も同じ状態なので、自分の方が近くにいて良いか良くないか区別されたことに直面するわけで。ひぇ~。それも負担である。

なので、ここはお互い適度に興味がありますよ~、嬉しいですよ~という気持ちのみを伝えられることが出来る場だから、どこか気楽なんだなぁ。友人にはやはり伝えないかな。もちろん、その先は何が起こるかわかりませんが。

では今日はこのへんで。