窓を開けたら風が入るって、文字で見ると簡単そうで涼しい。

暑い日となった。こんなふうにこの夏も暑くなるんだろうか。今からどう過ごすのがいいのか思案している。涼しい場所で暮らすのもいいかもしれない。それこそ避暑地というものがあったはずなのに、今はそういう場所があまりない気がして、探す気にもなれない。日本は暑くなっているのだ。どちらかと言ったら、ものすごく暑い土地へ行って、そこで日陰の涼しい場所を探して、ゆっくりしたい。暑い時期を暑さの中で楽しむとはきっとそういう涼しさを探すことではないだろうかと思う。

未だにこの家にはエアコンもない。どう涼しく過ごすのがいいか、電気の力頼みでエアコンをつけたとしても、きっと掃除とかも含めて付随する扱い方を覚えたり、やらなきゃいけないことが増えるのが億劫だ。家電を増やすとそれぞれの使い方、手入れの仕方が共通するものもあれば、そうじゃないものもある。細かい操作もどれだけ出来るのやら。なんでこんなに複雑になってしまったのだろう。簡単になるために、複雑なものが多い。たぶん、炊飯器も電子レンジも、スマホもない身としては、大いに困るのだろうと思う。

ヒューマンエラーについて書かれた少し昔の本を読んでいた一文に、「操縦が下手なパイロットは自動操縦になっても下手だ」というようなものがあった。まさに納得。人間の進歩、いや自分の進歩はちゃんと老化して新しく変化して行くという肉体だけで、全然中身は伴ってなくて高度な進歩などはしていない。いつと言うのが最初かわからないが、最初から下手だし。だから、きっと昔も今も、どんなに「簡単ですよ~」と言われても使い方は下手だろう。どんなに簡単な操作であっても、慣れていなければ簡単なものだとは感じない。まずは慣れろって?どうだろうなぁ。

おそらく、一番問題なのは、認識出来ない恐ろしい数の「簡単」があり過ぎて、その数のせいで見落としてしまうことなのだ。簡単なもの同士の絡み合いも複数あって、それが複雑なのだ。その複雑を認識出来れば便利なのだろうが、あちこちにあり過ぎてどれもこれもとなると、いくつあるのだろう?正直ごめんだ。

それに家自体、エアコンに適していない。家を直す?そこからやるのか~、と思うとウンザリしてしまう。身ひとつで移動した方が得策な気がしている。家は好きだから置いて行くのは忍びないが。またちゃんと戻って来ることにして数週間空けてもいいじゃないかと思っている。

だが、この「身ひとつ」がもはや難しくなっている。関わっている人間関係やら、活動や仕事、諸々を整理して行かなくてはならないんだなぁ。仕事を辞めてボランティア暮らしをしているだけなのに、それらの活動が切り離せるような身になっていない。こんなはずじゃなかった。もっと好き勝手やって行けるはずだったのに・・・。

今年の夏は小学生のボランティア活動に付き合うことになっている。日数も多い。今更だが、関わって楽しいがそれ自体によって、ここに留まれと閉じ込められている感じもある。何かに関わるとあっちもこっちも絡まって来る。物も人もひとつひとつは簡単でありながら複雑だ。

あ、結局下手なんだ。どんな場所でどんなことをしようと、何かしら色々と絡んでしまう自分である。仕事を辞めたらすべて面倒がなくなるかと思っていたがそうでもないようだ。無職になって、5か月目。仕事に対する自分の扱いが下手なのではなく、物事や人との自分の関係の扱いが下手なのだということに気が付いた。絡んで複雑にしておくクセに、逃げたくなる自分。なぜか逃げるのは上手なんだけれどね~。だからたぶん生き延びてるんだよなぁ。ふぉふぉふぉ。

では今日はこのへんで。