たまには振り返って見えたその道を散歩してみる

生き方に正解は無くて、自分の生き方を正解にするものなんだろうなぁと思う。ここ暫く、と言っても3日目だが、ちゃんと誰かと会話をしていなくて、頭の中をぐるぐる巡る自分の思いと付き合っていたが、書き言葉よりも自分で発するひとり言の方が考えがまとまって出て来ている。思いもよらなかったが、言いたいことはそんなひとり言の中にバチッとはまっている。人と会話をしなくても、自分の声で自分の思っていることがこの口を使って出て来るのだなぁ。ひとりで過ごす時間が長いと、言葉が出て来なくなるように思っていたけれど、そうでもないようだ。ただ、もしかしたら、他の人と会ったときに不愛想な表情になっているかもしれないが。とりあえず、口角を上げる癖は身についているから、きっと大丈夫だ。へへへ。

ここのところ、数字に振り回されていた気がする。ブログを書いて来て、今になって数字を目標にするよりも、何で書こうとしているのだろうかということに立ち戻り始めた。最初の頃はほんの少しの誰かに届けたくて書いていたと思う。だから仮の目標を数字にしていた。自分のノートに書きなぐるのではなく、人の目に触れるところで書くのはなぜなのか?と思っていたが、単純に人の目に触れるのは何らかの刺激になることに違いはなかった。書くモチベーションにもなるし、書かない言い訳にも出来た。

けれど、やっぱり違うなぁとこの頃思うのだ。誰かに向けて、書きたい欲求。伝えたい欲求や伝えたいことがあり、それが一体何だろうかという模索を続ける自分がいること。書かずにいられない、というだけのことなのだろうなと思う。自分は技術を磨くなんてこともしないし、ネタが無いかなんて探すこともしない。誰だったか忘れてしまったが、本を書いている探検家の人が最初は探検がしたくてやっていたのに、だんだんと本に書いて伝えるために探検をするようになって来た、と書いていた。いつかそんなふうになるんだろうか?とも思ったが、ブログに限らず未だに何十年経っても書くことはあり、やめていない自分がいる。ただもちろん、何を書きたくて書いているのか、しかもちゃんと書けているのかはわからない。まあ、わからないからこそ書いているのかなと思う。わからない、わからないって言いながら、わからないってことを書いているんだよなぁ。

ということで、結局仮の数字の目標にも到達したりもしていないが、自分のために未だに書いている。もっと逃げ出したくなったり、嫌気が差したり、この時間よりもやることがあるだろうと思ったりしないなー。人に会いたくなったら、素直に人に会いにも行くし、常に遊んでいるからだろうか。苦労とか義務とかからはかけ離れているからこそ、この文字を綴ることが出来るのだろう。

自分の中で辻褄の合わない思考と向き合いながらの言葉の羅列と、たまに近所を駆け回ってブラブラして、はしゃぐ日々の報告。一緒に過ごすパートナーがいたら、きっと晩御飯を食べながら適当に済ませるくらいの話かもなあと思う。それでもきっと話したその話を、また誰かに話したくなるのだろうと思うし、書いてしまうだろう。延々と続くところに身を置いて生きているのだな。ネバーエンディングストーリーみたいだ~。同じように、日々というのは誰もがきっとそうなんだろうね。書くか、書かないかの違いかなぁ。

ごくごく普通の日々を綴る。最初に書いた「生き方の正解」は、やっぱり探しても外側の世界のどこにもなくて、自分が日々思い、書く生き方が自分の正解となっていくのだと思う。生計を立てるとかじゃなくて、まさに今日の自分を充足させて生きるためのもののひとつだな。振り返ってみると道が出来ている。ただそれだけのことなんだなぁ。

では今日はこのへんで。