手間がかかるのが当たり前だったよなと思うことすら失われた世界で、誰に私は愛を語る?

自分は何をしたい人なのだろうか。自分のブログを書き終わってから、他のブログを読んでいたときに、そう思った。何度もブログについて思うところを書いているけれど、単純に目的があいまいで、漠然としていて、他のブログのように「コレは」というようなことを書いていないなあ。元々情報云々を書くつもりはなかったが、指向とかもあまりないような気がした。

ただ、雑多な中にあるものを他の人が拾って行くことで、大きく言えば社会が住みやすくなって、生きやすくなって、時間の流れがもっとゆっくりにならないだろうかと思っている。みんな働き過ぎだと思うし、動き過ぎだし、何ひとつじっと心ゆくまで見ている暇がない。そうかと思うと、じっくりものを見たり扱ったり接したりしない分、時間を持て余しては、空いた時間に何かをさらにこれでもかと詰め込んで行くように私からは見えている。

今そう言う自分も御多分にもれず、どこか忙しく生きて来てしまって、けれど何だかおかしいぞと一瞬思ってしまったばっかりに、空いた時間をどっかり手に入れたくなり、自分の今までの生き方にきっちりストライキをしてみた。流れが止まって、空いた時間が出来たことは、別に次に何かをするための準備でも何でもなく、ぽっかり空いた時間に勝手に流れ込んでくるものを見たり、落ち着かなくて余計なことをしたくなる姿を知り、留まるのを怖がる自分がいたりすることとかを見て、感じることを次の日に先延ばしにして放って置くことなく、ちゃんと苦いのも酸っぱいものも自分が味わうための時間になって来ている。

役に立つとか、何かのためとか、上手く行くようにとか、勉強しようとか。ちょっと気を抜くと、そんな生き方をしようとしてしまいがちだ。今ゆっくり生きているように見える自分でも、空いている時間はどんどん埋められていく。他の人なんて仕事や家族があり、いろんな時短の物やコスパを考えて利便性を上げて時間を作っている。けれど、せっかく作って空いた時間を、みんな何に使っているのだろう?せっかく空いた時間は愛を語る時間にしろよ~とお節介なことを思っている。愛を語ってない人の方が多いんじゃないかなぁ。

自分のご飯を作っていて思ったが、手間をかけるのは、かけていることが当たり前のことだからだ。何かにじっくり向き合ったりすることには時間がかかるのだ。手間がかかるのだ。今日は少し大きな鯵を一匹買った。さすがに海に取りに行けないが、手頃な値段で魚を買うことは自分の中で良しとしている。誰かにこんなに安い金額で働いてもらって、鯵を手に入れてもらうなんて、ありがたいくらいだ。だからこそ、お金を支払うという行為をするわけなのだ。お金は人に任せた分だけ取られる仕組みにちゃんとなっている。自分にとって価値があるからこそ支払う。すべての買い物でこれらのことを意識しているだろうか?私は忘れていると思う。みんなはどうなのだろう。

そして、鯵を自分で捌くのだ。お金を払って誰かに任せて、綺麗に加工してもらうことも出来るけれど、自分でやってみるのだ。時間がかかる。手際も悪い。見た目もイマイチ。けれど自分が食べるための作業をすると、その時間がどんな時間なのかわかって来た。自分が食べて行く、生きるための大事な時間だ。鰺一匹食べるためには、それだけの能力と時間がかかるということなのだ。

私もラクで時短で出来て簡単なものは好きだ。けれど、何かを省くと、省かれた分の「何か」は誰かに取られてしまっている。自分が得るはずの何かが省かれているのを自分は知っているのだろうか。お金だけのことではない。鯵を他の人の手に任せるのは別に大したことじゃないかもしれないが、骨一本取ること、皮を剝くことの有無、どこまで鯵の身を削りどの位得られるかですら、人に任せた分だけ知らないうちに失ってしまっているのだ。だから、出来る限り自分のために鯵を処理して料理する。

手作りと言うと、どこかわざわざやっている印象を持たれる。そうではない。手間をかけるのではなく、かかるものである。どこか、いつしか手間をかける特別なものになってしまった。なぜ元々手間がかかるものなのに、すでに手間をかけたくないからという意識すらなく、手間をかけなくなったのだろう。これじゃあ、もしかしたら奪われているものに気が付かないままじゃないのかなぁ。鯵一匹ですら、気が付きにくいってのに。

庭のラズベリーが豊作。色付かないから収穫を待っていたら、虫や鳥に取られていた。口の小さい鳥がラズベリーを丸のみしているのを見て、もう収穫してしまおうと思った。ジャムにした。今夜食べる。小豆を煮込んでいる。昨日ブドウパンを焼いた。私はこれらに手間がかかることは知っている。手間をかかることをしていたら、一日が終わる。生きている時間をどういうふうに使いたいか、と問われたら、手間がかかることをやってるだけで過ごしたい。普通のことだったはずなんだけれどなぁ。

では今日はこのへんで。