隅っこに隠れて関係ない顔していても、地球の空気は吸って生きているから世界の一員です。

夜、眠れずにいた。友人の素晴らしいピアノの才能をもっと人に知って欲しいなあと思っていて、何が出来るだろうか?と考えてしまったのだ。ぼんやりとした頭で寝つけずにいたが、結局は友人がどうしたいかがはっきりしないと解決の道はないなあと思うところで止まった。私があがいても、本人がどこへ向かいたいのか、して欲しいことは何なのかをちゃんと理解出来ていないと余計なお世話になってしまう。もちろん、自分としては余計なお世話、お節介もそう悪くはないとは思っているのだが、いくら考えてみても私には本人のしたいことがはっきり見えていないことに気が付いた。コレって、私に限らず、もしかすると本人の気持ちが相手に伝わっていないことが多いのかもしれない。たまに聞く友人の愚痴の中に物事の進み具合に不満が出たり、上手く行かないタイミングでは、そのことが原因にもなっているかもなんて思ったりもしていた。

ずるずると思いが枝分かれして、こんな感じで気になって眠れるわけがない。それで、一旦思考が止まったところに戻ってみた。シンプルに今の自分が出来ることと言ったら、友人が出る演奏会の宣伝を近くの人にするのみだ。あまり考えても仕事のアイデアも出ないし、その仕事に自分は精通しているわけでもない。裏方の手伝いに来て欲しいと言われると、手伝って来ただけである。大きな力になれなくても、小さな支えになれるはずだ。今後も頼まれたことは快く引き受けよう。よし。

それにしても、音楽家が日本で音楽だけやって食べて行ける状態になるというのは、本当にどうしたらいいのだろう。日本に来るまでは演奏者は演奏のことだけ考えれば良かったのに、今では事務的なことまでやらなきゃいけないと言って友人は嘆いている。楽しそうな企画があっても、音楽以外の準備をすることが負担になっていて、苦戦しているようである。以前は外国じゃないと食べて行けない、なんてことを他の演奏者からもよく耳にした。今も変わっていないのかもしれないなぁ。

自分の身も振り返る。音楽に限らずブログだって、供給側が多くて、受け止める側がいないこともあるだろう。競争で自然淘汰、人の目に入ることがないままということもきっとたくさんあるのだろう。たくさん出て来て、いつしか消えて行く。ごく普通のことなのだなぁ。やらなくなったら、そこで消えゆくものなら、やる気がある間は出来るってことか。

ああだこうだと思い浮かべては書き止めて、まあ大したことのない文章を毎日書き綴っている。それでも、書いておきたい気持ちがある間は続けてみよう。これも実験。文章を書いて自分の需要が他人にあるかないか、それを計るものになってしまったら辛くなるだろうけれど、それでも良いなあと思う。辛いと体験することも自分には必要不可欠だ。どう感じるか、は続けている限り変わり続けていて、どうなるかわからない。自分がどう思って、何を考えて行くのか、自分を外から見ていてワクワク出来る。誰も相手をしない文章を書く行為だって、誰か上手な面白い文章を書く人にとって少しは引き立て役のひとつにもなるのだ。影響をしない人など、いないのだよな~。だから、今日もブログの世界の隅っこでなるべく目立たないように書き続ける。

では今日はこのへんで。