自分のことは他人にとってそのすべてが他人事だからこそ、それぞれが自分自身にもっとかまけてね。

午後三時も過ぎると今日もそろそろ店じまい…のような雰囲気で、過ごし始める。眠るまであと9時間位あるというのに。朝起きてからの時間の方が短い。きっと起きて集中して何かをやる時間は短いものなのだろう。時計を見ているよりも、体の中から欲している興味や関心、動機付けなんかが明確で動きやすいのは、起きてから数時間なのだろうと感じる。目覚めてから一番やる気のある時間にやりたいことは済ませないと。毎日この時間帯から何かを始めるというのはきっとやる気よりも「予定」とか「習慣」みたいなもので終わってしまう気がした。

そう。今日はもう店じまいをしてもいい。大雨が降って来る予想だったので、朝には一緒に運動している友人から夕方の運動は中止の連絡が入った。だから朝から予定が今日に限って何もないことになった。先週、3日間くらい旅行にでも行ってしまおうかと思っていた今日明日の予定も、一緒に運動をやる予定だったことを思い出して取り止めていたが、まさかこんなに日本全国大雨になるとは。行かなくて良かった。どこかで電車が止まって、明日までに帰って来られなかったかもしれない。ふぅ。友人よ、キャンセルは当日になったが、運動の予定を入れていてくれたおかげで、今日は家にこもることが出来て安泰だった。家でピアノを朝から練習して、そろそろ店じまいとなる。閉店ガラガラ。シャッターを閉める。一人暮らしているんだから、誰かに対してやっている訳でもないが、自分自身の活動時間は店オープン、でそろそろ時間外という感じだな。変な言葉だけれど、結構気に入っている。

時間外、というのがきっといいのだろう。おまけの時間。いろいろやって一日が十分過ぎるほど活動して、残った時間はその余白だ。晩ご飯を考えるためだけの時間。風呂に入って、晩ご飯を食べて、テレビを見る。一日が常に短い。以前どこかで「一日8時間働けば普通に暮らせる社会」というようなことを聞いた気がするが、そんなに働かなきゃならんの?と思ったなぁ。8時間は長い。人が集中して活動出来る時間を超えているんじゃないかなと思った。せいぜい5時間働ければいいなぁ。いや、どちらかと言うと、集中出来る大事な時間は自分にとって一番大事なことに使いたい。それこそ余白とか余りカスみたいな時間で適切に適当に出来る程度で働き、食べて行けたらいいのになぁ。こんなこと言うと、仕事に生きている人たちはきっと嫌な顔をするだろうが、私はそれがいいなぁ。

手間がかかること、昨日それを書いておきながら、矛盾しているのかもなぁとも思う。働いて稼いで、そのお金で食べること、暮らして行くことというものに、もっと手間をかけろということかもしれない。でも、なんか違うんだよなぁ。しっくり来ないことに向かって動けるほど、我慢をするやる気を持ち合わせていない。我慢にも動機付けや自分を納得させられる説明が必要だと思う。私は自分自身を納得させられないままだ。みんなよく納得させることが出来るよなぁ。すごいよ。今ある社会の仕事に対して、大体が「いらんこと」に見えてしまう。無駄だよな~ということを人間は作って、仕事を作って、それによって働く場を作って稼いでいるような感じだと思う。まぁ、それが人間社会で生きているためのそれぞれの知恵で生み出された必要とか役割とか仕事とかなんだろう。いらん仕事でありながら、全てが要る仕事でもある。それはわかっているのだけれど、自分がしっくり来ることなんてきっとないのかなぁと思う。

そのうち、食うためだけという理由で、自分もお金を稼ぎ始めたりするんだろうか。全然それはいいのだが、その仕事はきっとホントはいらない仕事なんだろうと思う。いるけれど、いらない。自分にとっては要る仕事になるというだけのこと。みんな自分のためだけにその仕事をやって生きている。うまくかみ合って、やれているのが不思議なくらいだ。いや、うまくやれてないか。あぶれる人もいるもんなぁ。けれど、だからこそ好き好んで働くことを選んだからこそ、必死だったり命がけ、責任も取るとかになるんだろうなぁ。自分にとっては要る仕事、と思ったら頑張るのだねぇ。他人事でしょうか?ええ、今は他人事ですね。

では今日はこのへんで。