忘れた頃にやって来るのは災いだけではなく、ああこういう自分だったという気付き。そして赤くなる。

人と一緒にいる時間を優先すると、物を考えなくて済む。簡単に目の前のことに夢中になるからだ。そういう意味ではずっと物事にこだわることもなく家族と過ごして一か月ほどになる。それでも文章を書く作業を進めて来て、この時間だけほんの少し自分だけの時間になり、今日1日の中で気になったことを振り返っている。家族が寝た後に時間を作っているので、結局は頭がぼんやりして、全然機能しないことも多く、一体何を書いているのやらと思うこともあり。それでも自分の言葉を綴らないと、と思う。

自分に集中する時間=人といない時間を作ることなんて、なかなか難しい。昼間学校やら仕事やらで動いていると、結局は半分は人といる時間となっている。仕事や学校などない私であっても、家族が家に来たときは家族といる時間を作って優先させてしまうし、友人等人と会う時間があれば会いに行ってしまう性質だから、より時間が無くなる。寝る時間を可能な限り、ちびちび削りながらである。人と過ごす時間を削ることも出来るが、人生の中でひとり物を考える時間と人と一緒に過ごすことが出来る時間を比べたら、自分はこれから人と過ごす時間の方が圧倒的に少ないと思ってしまうので、削りたくない。ってことは、やはり自分は自分に向き合う時間が必然的に少なくなる。今後はどうして行きたいのだろうか。

ちゃらんぽらんと音がして、あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら流されて、影響されやすい心でいいとは思っている。けれど自分と向き合いたい。たぶん面白いと思える興味が今は自分なのだ。人と付き合って、相手を見て面白いなあと思っていながらも、どこまで行っても人と頭をくっつけて、おでこから考えを溶け合うようにわかり合う・・・ことはないわけだから、ならせめて相手を知り、自分がどんな反応をしているかという自分のことをさらに知って、思っていることを相手に伝える努力を止めたくない。人を知ること、自分を知ること。これが面白いのだから。

最近、このことについての日々のトピックを書いておこうと思いながら、全くダメだ。眠いわけでもないのに、頭が回らずすぐに怠けよう、文章を終わらせようと急かされている。今も自分のことだというのに、である。明日目が覚めなかったらどう思うのだろう?書けなかったね~で、終わるだけだ。だから今すぐ寝てもいいのである。なのに書いている。ここで、思考というものと行動はちぐはぐで重ならないものだなと思う。どこかで思考さんと行動さんという人が一緒にいながら別のことをそれぞれ進めて行くようなものだ。人は考えることが単体でありながら、どこか総合体なのだなと感じる。意識と無意識?それもあると思うが、意識していても意外と統率が取れているとは限らない。複雑な生き物だ・・・。私だけか?

ところで、と唐突に思い出し書き始める。また「そろそろお暇の時間ですが・・・」と自分の書き続けたい意思とは裏腹にまとめろという指示があるような気になる。きっと、このまま書いていても今日中に終わらないことは目に見えている。あ~、なんてことだ。駄文を書き続けた。ただ思っていることを書いている。そばで眠っている異性がいて(いないけど)、夜遅くに話していたらただのピロートークか。これは、もしかしたらそんな気分なのかもしれない。ひゃ~。やっぱり私は夜に向かない。気が付いて、恥ずかしい限りだ。明日は昼に書こう。

では今日はこのへんで。おやすみなさい。