たくさんのメモがある。一応読める程度に書かれたメモだ。誰かのひとことだったり、読書した感想だったり、頭の中で繰り返す言葉だったり。言葉であることには違いない。これについて何か書いてどこかに出そうとかではなく、いつか自分が弱ったときに思い返すためのメモだ。自分が立ち直るためのメモだ。自分を気分良くするため、いい感じに扱うためのもの。食べて、寝て、日差しを浴びて、運動して、好きなことをじっくりやって。それでも気が晴れないときは、そのメモを読み返すのだ。
自分というのはずっと変わらずにテンション高く生きられるわけでもなく。急に高くなったら、急に下がることもある。とくにこんな時期、人とべったり過ごして「ゥひゃっほーィ!」とわけのわからない声を上げ続けながら遊んだ後、ひとりに戻って落ち着いて、その後パツンと音がして空気が切れたみたいに、つまらなくなる。今朝なんか、昔のほとんど聞いていないCDを引っ張り出して来て涙していた。ジットリ、というわけではないが、感傷的になっているというか。ああ、こんなふうに人を思っていた時期があったなぁ…言えなかったけれど、などと思って朝食の茶碗を洗って片付けていた。たぶん、感傷に浸るのが下手なのかもしれない。ううっ、ぐったり。元気で前向きなエネルギーが削がれるようで、それが苦手だ。
そうは言いつつも、今日はそのまま泥沼に沈み込むことはなかった。私よりももっと泥沼にはまっている人からのメールが来たからだ。やはり他の誰かによって刺激を受けてスイッチが入り、自分に電流が走って立ち上がることが出来てその後簡単に動き出すのかもしれない。人と付き合うことによる、ものすごい素晴らしい影響。気分を転換させてくれる。昔は誰も訪ねて来ない森の暮らしなんかに憧れたことがあったが、きっとダメだろう。私は人が作ったところに住み、人が行き交う場所で生きるのが向いているのだと思う。人の気配があるだけでも違うのだ。人と関わるのが自分にとって都合良くちょうど良くなんて無理だろうが、それでも程良くを目指して今も生きている。
で、だ。今日は何をしようか。朝目が覚めたときに思うこと。「今日は何をしようか」だ。一日一日、昨日あった大変なことは忘れて、なぜかいつも暇だな~と思っている自分である。手帳や自分のブログを見ない限り、次の朝には結構忘れていて思い出すこともない。書いてみて思ったが、常に暇な感じがするとはいいものだ。縛られていないことを楽しむ。
よく目にするのは「今日が最後の一日だったら」というものだけれど、最近の自分は「今日が最初の一日だったら」という気分である。赤ちゃんとして自分はたった今生まれた~、さて、何する?という気分。最後の一日と考えると、あれもしなきゃこれも・・・と頭が忙しくなってしまうけれど、まだ時間はいっぱいある、これからだ、という気持ちの中で始めることは何だろうか。切羽詰まるよりいいな~。
ガンジーが言ってたなぁ。明日死ぬつもりで働き、永遠に生きるつもりで学べ、とか。合ってるか?働かないよな。死ぬと分かっていて働かないよなぁ。動き、とか生きるとか、だよ。そうそう。どんだけ働くのが自分の根っこにあるんだろう。嫌なこった。・・・けれど、お金をもらって働くことが働くことでもないしな。ならばいいか。今日も働く生き物として動いてみることにする。
では今日はこのへんで~。