モテる幸せに留まりたいと今日も筋トレをしている

地域の高齢者のための食事会の準備で、朝から買い物へ出ていた。明日も準備と食事会開催で一日仕事になる。暑さはどうだろう。夏日みたいな温度だと歩いて来る人たちには酷だ。今回も30数名集まる予定。きっと楽しみにしているはずだ。天気が良くて、温度も程良くであるといいなぁ。山菜ご飯やお魚の煮付け等、和食メニューになる。デザートが予定していたミカンゼリーから桃のゼリーになってしまったけれど、チェリーの缶詰をお店の人に交渉して格安で手に入れたから、飾りは可愛らしくなる。可愛いことを愛でるご婦人が多いのできっと喜んでくれるだろうと思う。

メニューはいつもボランティアの数名であれやこれや言いながら決めている。最近では材料の価格が上がって来ているので、買い物がかなり大変である。業務スーパーみたいなところで仕方なく冷凍の魚を仕入れることもある。本来はひとりで暮らしている高齢の方を招いて、おしゃべりを楽しむのが目的というのだが、やはり食事そのものも「美味しいもの」「最近家では作らないもの」「見た目も楽しめるもの」等、要求も高い。確かに高齢でひとり暮らしとなると、火の扱いも不安要素になって来て、油ものはやらないし、大体一度に食べられる量も減ってきているので品数も少なくなっていると聞く。だから、月に1度程度のこの食事会で彩り豊かな食事を安価で近所で楽しむというのは大事なことなのだろう。微力だが手伝いすることが出来ていて嬉しく思う。

まあ、今日も私は大したことはしていない。物の片づけやその移動、または棚の整理したり、買い物の荷物を運んだりするのがメインだ。今日は買い物途中で他の仲間の一人と先に荷物を持って保管場所へ向かい、みんなが帰って来たときのためにお茶の準備をした。最近は米を運ぶ役になっているが、大した荷物ではない。けれど、年々荷物が持てなくなったと年齢が上の仲間は言っている。何もしないで普通に暮らしていると、こんな軽い荷物をあと10年もしたら持てなくなるんだろう。たとえ運動をしていたとしても、若い時よりは力はいつか弱くなる。

「持てる幸せ、だよ。」とみんなで笑っていたが、自分も本当にそうだよなぁと思っている。筋力が落ちているのを日々感じたので、筋トレを始めてその効果も感じている。やったらやっただけいい反応が出る。動きやすくなるのだ。使わないと気が付かない内に、あっという間にダメになるらしい。動いて筋肉に反応がある間に鍛えよう。ダルっとしてきた表面の筋肉が刺激を受けているのが日々分かる。筋肉に熱中する人がいるけれど、反応がいいことや結果が手に入りやすいのだから、そりゃそうだ。おもしろいだろう。が、自分はそこまでムキムキになるのは遠慮したいので保持することだけ続けてみようかと思う。・・・とか言って、すでにテレビの筋肉についての番組を見つけては観てしまっている。気が変わるのは時間の問題かもしれない。

買い物途中で、普段あまり通らない川沿いを歩いていたときに、いろんな木々が植えてあり、この季節の恵みを見つけた。たくさんの梅の実がついている。ビワの木もあって、たわわに実っている。これって誰の所有だろう。手に届くその実を勝手に取る人はもちろんいないが、それはそれで誰も取らないのはもったいないなあと思う。食べられるものが道に落ちてただ腐って行くのか~。この土地の所有者のところへ聞いてみて、放っているのなら採取して地域へ還元出来ないだろうか?などと思ってしまった。

そのときちょうど思い浮かんだのは、この近所には庭が大きくて果実が取り切れない程に実っている御宅もたくさんあるということ。高齢化でひとり住まい、庭の草を刈る人もいなければ、実が出来ていても取ってくれる人がいないのだ。一目で高齢者が住んでいるよな、とわかってしまう気がして、防犯上もあまり良くないだろうなと思う。(反対にお金をかけて庭をきれいにすると、それはそれでお金持ちということが見え隠れするのでそれも難アリかもしれない。適当に人の手が入っている、がいいかと思っているのだがどうだろう。)

顔見知りになれば私も気兼ねなく声をかけて、手伝いも出来るかもしれないが、少し離れた家の住人に声をかけるのは気が引ける。ならば地域活性化と防犯も兼ねて、庭の手入れを自治会を通じたりして地域の数名で回るとかどうなんだろうかと思った。

それとは別に、生り過ぎて集めた果実を交換したりするのもいいだろうな~。私は近所で交換したりして恩恵を受けているけれど、少し離れてしまったところでは知り合いでないというだけで、簡単に出来ない。お互いにもう少し歩み寄るきっかけを作れたらいいなと思う。年月をかけて、少しずつだな。小さな地域で、お互いの信頼関係を築いて行くこと。明日の食事会もいいきっかけ作りになればいいなぁ。

では今日はこのへんで。