遊んでも遊んでも、気分は仕事になる連休の達成感を味わった人々へお疲れさまと言葉をかける

どうやら、本当に遊んでいたようだ。やっと休暇が終わった家族が家を出て、飛行機に乗って行ってしまったので、ひとりになりブログのことを思い出す。この数日、毎日思いついたところに出かけては、歩き過ぎて体のあちこちを痛めつつ、美味しい物を食べ、今までやったことのない連休の王道を行く遊びをしていた気がする。外国に旅行だ!と出かけたりするわけではなくて、遠出するというのも電車でせいぜい2時間程度の場所だ。自分が若いときには仕事をしながらだったせいか疲れ果てていて、そんな近場であっても「今日はやっぱ止めようや。」と断ってしまいがちだったことを考えると、めずらしく元気に過ごした連日のお出かけであった。散財したのは間違いないがお金を遣って遊んだという感じではない。交通費と食事代と少しの活動費。動いて頭を空っぽに出来て、夜は倒れ込むように寝る。そんな10日間ほどであった。快適である。

文字にしてみると、それほど日数は長くない。けれど、とても長い10日間ではあったと思う。一日があっという間でありながら、夢中になれる時間は確かにあった。自分より大分若い家族のペースで動いたせいか、本当に体は疲れてしまったが、まだ細胞レベルで動ける筋肉の記憶みたいなものが作動していた気がする。今朝、予想外の重量がある荷物を持って歩いたのに、腕や首が元気だ。きっと活性化した筋肉が動き出して今はしっかり動いてくれているのだろう。随分激しく動いた10日間だから、体も急いで回復をしなくてはと思うのか、治りが早い。今後もこんな感じで過ごせたらと思う。

この10日間、ブログから離れてみて思ったことがある。どうやら私は一つのことを始めると、何でもそれがまるでお金をもらっている「仕事」のような感覚に変化して行くようだ。ブログはお金をもらっていないのに、まるで仕事である。ブログに限らず、他のことも一日の中であれもこれもと増えて行って、ちょうどよく減らせたり増やせたり出来ていない。手帳の予定欄がいつの間にか真っ黒になっている。どんなに楽しいことであっても、記憶の中に予定として記されると、その日の自分の課題になってしまう。これからどうして行けばいいのだろう?他の人は好きなら好きでたくさんやればいいのだろうけれど、長年の癖で私は体力の無さから、すぐに一日の体力配分を計算してしまうことになり、その計算をしてしまう事態がすでに未来の自分を縛ってしまっているような気になって、仕事のように面倒になって来るのだ。

今回ブログについては、昼間遊びに動き回って、夜は遅くにブログを書けたとしても、寝不足になるなあと思ったので、一度手を止めてみた。こなす、ということをしたくなかったのだ。思い切り動いてみて、疲れたら眠る。そんなシンプルな毎日を過ごしたいと思ったのだ。ブログを書けば、どうしたって目が疲れ、頭を眠らせないようにして夜に書くことになる。それでは自分の体の自然なリズムに反してしまうことになって、シンプルな生活が台無しになりそうだからだ。トライ&エラーが続いている。これは書き始めたときから常に課題となっている。

ただ、書くことは好きである。やめようとは思わないし、今でも好きなことには変わりない。書く時間帯はやはり夜より昼間がいいなと思う。一日存分に遊んで楽しかった気持ちのまま、自然に眠りに就くのが良いから、朝に書くのがいいかなと思う。睡眠は必須だ。削ることで体を壊すなんてもったいない。

ひとつ考えてみた。一日は24時間、睡眠を8時間取る予定で考える。これは動かさないで行こう。残りは16時間だ。人の役に立つ時間はその中で半分の時間を確保する。例えば仕事をするとか何らかの力を社会に提供する時間として考える。後の残りは自分のために自分と向き合う時間としてみよう。働く時間8時間、自分だけの時間8時間。でも、この時間配分ではダメなのだと気が付く。これじゃあ、まるでよくある普通の時間だ。げっ。

そこで「働く=お金を得る時間」と合わせて、お金を得ないけれど動く時間も必要だと考えた。ボランティアの時間も大事なのである。大切な人と過ごす時間も欲しい。プラス、自分ひとりだけの時間も欲しいのだ。私にとって、ゆとりが欲しい=自分ひとりだけの時間である。家族と一緒に過ごすのは人と過ごす時間であるから、ひとりの時間が減る。8時間目一杯人と過ごす時間で遣ってしまうと、目の前のことしか見ずに自分のことが置き去りになり、いつか急にひとりになったときに何も手を付けられていないことに気が付いて愕然とするだろう。今回みたいに家族と遊ぶぞ、と決めて10日間ほどは短期間だからいいとは思うけれど。一生は無理だ~。

なので、こう考えてみた。働く(お金の有無関係なく社会に向けて動く)時間は5時間、人といる時間5時間、自分のための時間は5時間から6時間。一日の配分でこんな感じでならなんとかなるだろうか。普通の人の感覚なら、一週間とか一か月とか、長い時間の単位で考えるだろうが、一日の中の時間の単位で考えた。私はたぶんこれがいい。

ちなみに寄付、投資、貯金、生活費というようなお金の配分にヒントを得た。寄付は働く時間、投資は人といる時間、貯金は自分のための時間、生活費は睡眠とか健康管理のために割く時間だ。自分ではお金と時間が似ている感じがしたからだ。

結局、バランスなのだろう。自分のちょうどいいバランス。その単位が人によっても違うのだろうけれど、私は今のところこんなバランスだったら快適になれそうだと考えた。とは言え、今朝まで人と一緒にいたわけで。暫らくはひとりを満喫しようかなと思い始める。もはやさっきまでの主張も何もかもがひっくり返っていく。

では今日はこのへんで~。