積極的な遠回りをしたら、あの有名なカメに会える気がした今日

仕事をしているわけでもない平日の月曜日。こんなに陽気がいいのに人は学校とか仕事とかに出かけているのか~と思いながら、読書をする。家族が話しかけて来るのでその度に本から目を離すと、読んだそばから内容もどこの行かも忘れてしまって、2ページ程戻りながら読み進めて、12時に差しかかる位になってやっと読み終えた。

本を読んでいる間中、座っていると足が冷えてしまうのか、痛みが出て来る。足首より上の外側の筋肉。名前はわからないが、ピアノのペダルを踏むときに一番使う筋肉だと思う。つま先を上げ下げすると疲労感がある。以前腰と連動して、痛みが伝わるところだった。とても厄介だ。冷えるとより痛くなるかと思い、家の中で日向のところを探して、痛む片足だけ日差しの中へ置いておいてみた。温まったら痛みがマシになるかと思いきや、意外とそうならない。結局片足をずっとさすったり、指で押しながら痛みを緩和しようとする。意識はだんだんと痛みに集中して、本を読むのを中断することになる。本を読んでいるのか足をマッサージするのが目的だかわからない格好になって来た。寝転がって上を向いたり、足を上げたり下げたり伸ばしたり、読む姿勢も場所もいちいち動いて確認。しっくりは来ない。結局いい場所を見つけられず、痛みも緩和出来なくて元の陽だまりに戻ることにした。

家族の話を聞いて本を読み進められないと思ったが、足が痛いことに気を取られてしまったから読み終わらなかっただけか。すぐ人のせいにしている悪い癖だ。言い訳を考えるときには、物事の進行の中で自分のやっていることよりも先に、人のことが目に付くんだな。反省すべき点?いや、人ってきっとそんなものだろう。人らしい人だ~。まあ、誰かのせいにするのがとりあえず簡単なのだ。そのことで何かもめる訳でも衝突する訳でもないから、いい、いい。人のせいで解決するなら小さなことだ。相手に目をつぶってもらおう。人が一緒にそばにいるからこそ出来る事象。ふふ~ゥ。家族は自分のせいになっていることをいつも知らない。

この私のありがたい家族は、今日もつるんでカフェに行くことになる。本を読み終えた後、昨日無性に食べたくて買ったおせんべいを二人でガツガツ平らげて、お腹が空いたねと外へフラフラ出かけた。親の固定資産税の支払いを忘れていたことを思い出して、それも用事のひとつとして出かけた。何かあると、どちらへ向かうかを決められやすい。何か食べるにしても、食べたいものが浮かばないときに「どの店に行こう?」と考えるのは面倒になるときもある。右に行くか左に行くか迷う。だから、用事がひとつくらいあるといい方向づけになる。決まった方向へ動き出したら、目に付いたところへ入ればいいので気楽である。道を進むだけだ。

用事を思い出したその用事から片付けようと銀行に行ったが混んでいる。並ぶのが好きではない。後回しにして忘れるのは明日に面倒事が残るからそれは避けたい。けれど、気乗りしないことに時間をかけるのを止めてすぐに銀行から出て来た。とにかく気が向く先へ、思い出したことをこなしていく。駅で明日の交通費をパスに入れておこう、こっちの銀行で自分のお金を下しておこう、ついでに家族の振込をATMでやってしまおう…そんな感じだ。思いついたことからやると本当にいろいろ片付く。無意識というものが働いて、勝手にいい順番で事をこなしていくのだ。自分の自動運転!こんなものが備わっているなら、使わない手はない。

とは言うものの、あちこち行ったり来たりして、同じ場所を何度も通る。私たちを追い越して行った二人組と違う場所ですれ違う。案外、同じようにうろうろと手際悪くやっている人たちはいるものである。

ああ、勝手に手際悪くと言ってしまった。そんなつもりもないのだが。しかし周りから見たら、私ら二人も追い越して行った二人も、きっと手際が悪そうな二人に見えるだろう。けれど、それでもいいのだ。どんなことを本人たちが考えているかなんてどうせ誰にもわからないのだ。手際が悪い、要領が悪い、道に迷っている?と思われていた自分たちであっても、「ただ運動していただけ」と言うだろう。実際、家族から「食べてばっかりだし、これって運動になるね~」と言われた。うろうろは健康になる。何度も同じ場所を歩くのも結構いいものだ。積極的に何度も同じ場所を歩いていて、急に思い出していいタイミングで用が済むことも多い。

食事もいろんな用事も済んだ後、家族が一度入ってみたいと言っていたカフェに入った。普段ものすごく混んでいるのでなかなか入れないのだが、他にお客さんが1人しかいない。やった~。めでたくすんなり入れて、アップルパイとアメリカンコーヒーにありつけた。今日もマイペースで時間を駆け抜けたぞ。

では、今日はこのへんで。