田舎暮らしより、緑を増やした都会で小さく豊かに暮らすことを考えようか。

白紙で答案を出す、なんてことを本当に体験した人は一体どのくらいいるのだろう。そんな心境になっているのは、ブログに限らず文章から離れて生活をしていて、今まさにPCの画面に向かっているこんなときだ。白紙の画面に向けて自分は何を書こうとしているのだろうか。白い画面が動かないままである。時間は限られている訳でもないのに、自分への締め切りみたいなものが月末のカレンダーを覗く目に映る。生きることを焦らされている?あまりにも離れ過ぎて、今まで自分がどんなふうに文章を書き出して行く動作に移っていたのか忘れている。とは言っても、まぁ、いつもこんな感じか。

この夏は暑いと言われて、酷暑とか言われて来たが、すでに体が慣れてしまったのか元気でいる。いや、暑いことには変わりないんだが。夜は昼の温度から28度位までは下がっていたので、簡単に眠れるということがとてもありがたかった。今の時代は28度なんて、熱中症になるよ・・・とテレビのニュース等で語られているが、自分が子ども時代は公共施設のエアコンは28度設定だったし、そんなに温度を下げなくても「涼しい」と感じる範疇じゃなかろうかと思っている。まぁ、まだ50代で若いから?年を取ると違うかもしれないが。

そうそう、ニュースで目にしたことだが、エアコンのつけ過ぎで換気を怠ってしまい感染症が増えるなんて、本当のことだったらとても馬鹿らしい事象だ。たまに自分の近所を見回して、一体いつ窓を開けているのだろうと思っていたが、24時間エアコンからの空気を吸って生きているのだろうなと思うくらい、自分の家以外ほぼ窓を開けて過ごしているという家を見ない。雨戸を閉めて日陰を作り、外には室外機の音だけが響く。夏場は静かである。みんなそんな暮らしをしているんだな。もし、それでエアコン自体の掃除を怠っているとしたら、自分はとてもじゃないが空気を吸いたく無いけどなぁ。

まぁ、今の時代の人は窓の外のありのままの空気よりも、空気清浄機を使った空気の方が綺麗に感じるのは何となくわかる。都会にいたら、独特の臭いと、何らかの排気口から出た気体や細かいゴミみたいなものを吸うことになる。車からの排気ガスだって、微々たるものと言いながら、単純に出続けているし、微々たるものと言われながらも空気中に溜まって行き、量は増えて大きな存在になるよねぇ。ああ、嫌だな。自分は単に窓を開けて換気をすることの方がとてもラクだけれど、もうすでに空気が汚れているのだろう。

そんな空気を吸う位なら、自然が多いところへ逃げればいいじゃないかと言って、逃げるとする。自分も自然の中にいると心地良いことはわかっているから、昔は住もうとしていた。けれど、それではダメなのだと今は思う。たったひとりだからと自分だけが逃げても、その後に続く人が多くなればなるだけ、自然破壊の場所が増える。人が自然の中に住むということは、例えば住居を建てたその部分の面積分、自然の中で息づいていた生き物が死ぬことになる。たった1㎡アスファルトを敷くと数えきれないほどの何らかの生き物が生きられなくなる。自分が生きて行くために、悩ましい行動がきっと増えていくだろう。

最近の「熊」の問題だって、食う食われるの関係で同じ場所では一緒には生きられないにもかかわらず、人間が勝手に侵入しておきながら熊を他のところへ行けと追い出すor出て来たら殺すという選択をする。これもとても悩ましい。自分も山や自然のところに行くのは素敵だなと思う。今まで平気だった安全な場所で突然襲われて命を失ってしまった人は可哀そうだなと思う。自然の豊かな山奥に気軽に行けるという整備をして、多くのほとんどの人が行ける場所になり、暮らすことも出来て、豊かな楽しみは増えている。しかしながら、人間が安全に暮らすとかそういった楽しみを自分たちが得るために、そこに暮らす生き物を排除せざるを得ないのは確かなのだ。側でお互いの生きる場所を避けるような生き方が出来たのは昔の時代の話なのだろう。

今は、自然の手つかずのままの場所など無く、人が住む場所をどんどん開拓して、近づき過ぎている。追い詰め過ぎて、他の生き物が暮らすには狭い場所になって来たのだろうと思う。生きられないなら、他の生き物だって必死で自分たちの住む場所を拡大して広範囲に侵入してくる。当然だよな。人がやる戦争と同じだ。人間同士なら、どちらが先に住んでいたかなんて、揉めて話し合いをすることになるが、生き物相手の場合はそれもない。最近の生態を詳しくは知らないが、想像するともし熊という生き物ならば、突如出くわしたら驚いて攻撃をしてくるだろう。攻撃されたら、人間は「駆除」という攻撃をしてしまうじゃないか。攻撃して来た相手がいなくなった、めでたしめでたし。なんて、それは何かおかしくないか?

出くわすことを避けるためにやることとして思いつくのは、他の生き物が暮らす場所に「入らない」「侵さない」というのあると思うが、そろそろ「撤退する」ということも大切なのではなかろうか。人間が開拓した土地は他の生き物が住んでいた場所ばかり。一体どうして勝手に生きる場所を奪うのだ?もう、ここでは生きられなくなってしまった、だから他の場所を求めて広げてみたんだ。・・・なんて、他の生き物もやっていることだから、人間も真似する?やっぱり人間も生き物だねぇ。あ~、嫌だ嫌だ。

これ以上人間の生活圏を広げないということも頭のどこかに置いておかないとな。お金で土地を買えるからと言って、自分の物になったからと言って、自然相手に勝手なことをするってのはダメだろう。空気の綺麗な山奥へ行くより、今住んでいるところで窓を開けることが容易に出来るように、街の空気を綺麗にする努力をしたり、いかに自分が省スペースで快適に生きられるかを考える。そこに有る物を有効活用すること。あれもこれもを手にしてしまった暮らしから減らすのは、社会全体からはみ出して生きるようでとても難しいが、せめて新たに手に入れる物や空間には目をつぶろう。コイツ、いっつも同じで地味でつまらない、退屈。なんて言われたら今のところかなりOK。小さなスペースで同じことをやっている生き方が好きならば、堂々と、その生き方を大いに愛でてもいいと思う。で、今日もぐうたらして、暑い暑いとつぶやきながら。

今日はこのへんで。