昨夜は遅くまで起きていたせいで、アレルギーの薬を飲み忘れた。まぁ、一日位はなんとでもなる。喘息の飲み薬もそろそろいいかなぁと思ったけれど、台風が近づいて来るからもしかしたら喘息は酷くなるかもしれない。けれど朝起きたときから体調はいい。眠気も襲って来ない。嵐の前の静けさだろうか?あらゆる余計なことを考えて忙しくなるよりは、ぼんやり風を眺める日として過ごしてしまえばいいな。体調管理ばかり気にしていると集中し過ぎて過呼吸になりそうだ。今日も気にしないで過ごそう。
今日はケーキ屋の手伝いがないので、昨夜店主に出した連絡を確認。こちらこそ変な時間で失礼します・・・と3時半位に連絡が入っていた。本当にいつ寝ているのだろう。店主は作業中寝落ちはしないと言っていたが、一瞬腰かけてふっと寝てしまったときもある。断続的な睡眠を取っていて、常に睡眠不足だ。店に自分が手伝いに入ってから一年半位を過ぎたが、一度だけ店のドアが開かない日があった。そのときは電話をかけたら店主はすぐ出て、遅刻して来た。一度家に帰って落ち着いて椅子に座ったら寝てしまったそうだ。連日寝不足だから、そりゃそうだ。そんな生活が続いている。よく眠った日は元気があるようだが、それでもたくさん寝た後は体の痛みが増して辛いとも言う。体の悲鳴があっても誤魔化しているのを繰り返している典型だな。自分が手伝いに入ってからも、ギリギリの生活形態は変わらずである。病院にかかったり、血圧を測って薬を飲むようになったのは幸いであるが心配だなぁ。
店主のように、自分で決めた仕事だから無理をして行くのが当然という人は世の中には多い。おそらく自分よりも上の世代の大部分の人がそうやって生きて来たのかもしれないな。自身の人生だもの。どう生きたっていいと思うのだけれど、身近な人がそれで体を壊したり、精神的に参っているのを見ると、見ている側が辛いのだ。けれど、身近な人だからこそ、その辛さを知って、自分がその辛い気持ちをほんの少し抱える。痛みや辛さは分けたり出来ないが、知っているよということは一緒に抱えていることと同じかなと思う。知った上で何か出来ることは無いかと考えるのだよな。自分ではない他人に対しては、何かをしてあげたくても結局は無力だとは思う。きっと相手の理にかなってないようなことばかりをやってしまうことも多い。だから、「やって欲しい」という言葉を聞き、それをやるのが良いんだろうと思って、今も店を手伝っている。今のところ、開店準備は出来るようになった。店主から見て、気がついた足りないことなんかをまた店に行ったときにやる。それで助けになっているのなら、いい。役に立とうなんておこがましいよな。
言葉は思考だなぁ。おこがましいなんて、今まで使ったことなかっただろ。書いていて、今はそういう言葉も思考も自分の中にあるんだなぁと思ったよ。自分の気持ちにピッタリ来る言葉が見つからないことが多くなったのは、新しい感情や気持ち、思考なんかが自分の中に生まれているってことかもしれない。50代にしては言葉を知らな過ぎる気はしているんだ。小説とか読まないしなぁ。人の気持ちについて、妥当な言葉はいつも見つからない。知識としての言葉は増えるのになぁ。勉強だけのバカって奴だな。と言いつつ、勉強も出来ていないのだけれど。
最近は本当に日記を書いていて、こんなものを垂れ流すのは犯罪じゃないのか?などと思うときもあるけれど、全部が全部知り尽くせないとわかっているのに他人の思いを知りたくなるのは人の性で、それと同じように伝えたいと思ってしまうのも性なのかもなと思い、自分の書きたい欲と誰かへ伝える欲をこうやって満たしている現状は、傍から見ると自己顕示欲の塊だし少し滑稽だろうと思いながらも、どこか引き寄せられるように人がこの場に訪れているのを見ていると、自分にとっても相手にとってもそれほど悪くなく、そういうもんだからまぁいいかと思える。あー、長ったらしいな。文章はいつも拙く、アホかこいつと思われることしか書いていないのだけれど、読んで下さる方がいるというのは、最近特に心地良いと感じる自分がいることに気がついた。不思議なもんですねぇ。
では今日はこのへんで。