昨日はブログを書いた後にまた書いていた。今読み返すと、流れ出て来る感情と自分への考察が主。自分のことについて、目印になりそうなこともかなり書いてしまったので、人様の目には触れるのはちょっとまずいかなと思ってブログには載せないことにしたので、また新たに書いている。
振り返ると、一年ほどは書いて来てしまった。全部の文章を繋いだところで、人ひとりのすべてが分かるほどの情報量ではない。一部であるのは確かだけれど、この内容を合わせてみたところで、このブログを書く人のことがわかるということはあり得ない。同じような暮らしをしている人はたくさんいて、同じようなことを考えている人もたくさんいる。きっと行動も、似たり寄ったりである。
それでも自分が自分であることを知っているからこそ、きっとたった一つの個性であり、たった一人であることは確かであるのだろうなぁと思う。本当に似ている人たちを集めて、もし同じ場所に集結してみたとしても、自分は自分である。似たような他人がたくさんいても、自分が自分であると思うからこそ、自分がいるのだろうなぁ。
自分を誰かに証明することは出来なくても、自分は自分だなと証明などしなくてもわかるという不思議。体があるから?目を開いて、何かを聞いて、声を出して。いつから在るのかわからないから、まぁ、その証明も今は自分が在ると答えられる程度である。生き物である自分が不思議で仕方が無い。これはいくら生きていてもわからないものだなぁ。
最近のぼんやり浮かんだ不思議のひとつがある。生き物はなぜ成長して行くように仕組まれていたのだろうかということ。完成体で即作れなかったからというだけではないのだろうなと思う。何のために成長して最後は死ぬのだろう。これだけのたくさんの生き物が生まれ出て、生み出してから完成体へ変化させた方が都合が良かったのかもしれないが、あぶくのように生まれてポンとはじけて、最後は死ぬ生き物ばかり。完成など最初から無いかのように途中で亡くなるしね。
宇宙の時間を考えたら一瞬であるのに、個体ごとに生まれて、同じようで同じものがなく、それぞれの生き方をして成長して、消えている手間がわざわざあることの不思議。そして、とにかくものすごい数がある。一体何なの?とても不思議である。
それでも、まぁ、与えられた時間を楽しむ自分である。「人間」とか「ヒト」とかの言葉で指し示されている何かであるという生活を今も飽きもせず楽しんでいるところ。今日は注文していたヘッドホンが届いた。早速つけて聴いてみたが、音の広がりが増えて奥行きを感じられて、よく聴こえるゾ。やった~。でも焼いたクッキーがもう無くなってしまった。新しい焼き菓子を作る材料も無い。買い物に行くかな。自分はきっと、かなり人間っぽい。そう思う自分がいる。今日も多くのそこらにいるような、だけれどたった一人の人間だ。
では今日はこのへんで。