何の根拠も参考資料もないけれど、ただ自分の暮らしを観察していて気が付いたことに対して忠実に生きてる。

食器を洗うときの状況と体の中の血液の流れの状況とは同じようなものだろうと思う。茶碗に着いた汚れを落とすとき、油や添加物が多いとベトベトする。それを落とすのに洗剤を多く使ったり、時間がかかる。家ではほとんど水洗いで落ちる程度の物が多いが、外で買って来た食べ物が入っていたプラスチックの入れ物なんかの汚れは落ちにくい。まぁ、実際にどうかわからないが、添加物の調味料が絡むと落ちにくいのは確かで、コレと同じようなものが体の中を巡っているのかと思うと食べた後にゾッとする。

体の中で食べ物は消化して行くのだから、目の前の事象と体内で起こっている事象とは別物と考えないとおかしいよと言われそうだが、トイレに行って体から排出されたであろう添加物が含まれた便を見て、違いがあるよな~と思うのだ。そんなこと思うのは自分だけだろうか?外食をして明らかにいつもと違った食べ物を食べた後は、トイレの便器が汚れる。普段の単調な食事ではそのまま流れるだけの便が、ほんの少しこびりつくのだ。そうすると掃除を真面目にやらなきゃいけなくなるから面倒くさいんだよな。

だから、自分はあらゆる掃除が面倒と思うのなら、まずは食事を変えると良いなと思っている。使った食器も汚れが簡単に落ちるし、その排水口も長い目で見てさほど汚れてないし、毎回のトイレもそれほど汚れない。綺麗な環境で過ごしたいからと、そのための汚れを落とすための強力な洗剤を探したり、高額なお金を出す必要もないのだ。そのままでも汚れが少ない状態である。たまに洗剤を使う程度で家から排出する水の汚染度は少ないだろう。洗剤の量が減ることも、緩やかである。お金を遣わなくて済むよな。

食べることひとつ取って見ても、生活や環境って繋がっているんだなぁ。こんな年齢になって、さらに感じるヨ。自分は紅茶が好きだが、茶渋が歯にもカップにも付く。そのままだと嫌な自分がいる。それを落とすために後で何らかの労力が必要。紅茶を飲まなければ汚れないけれど、飲みたいから飲む。けれど、自分の思いとその行為に応えるようにしっかり後始末をしなくちゃならない。望んでいる行為とその後始末をしようと思えるかどうかだな。まぁ、わかる範囲でだけれど。(歯を綺麗にするために歯磨き粉を選び、お金と時間をかけ、口をゆすぐ水が汚れることに後で気が付く・・・という後始末はエンドレスでもある。)

きっとその後始末について、普段はみんなやっていることだからと、気にもしないで手を伸ばして受け取る行為だけで済んでしまっている自分がいて、わかる範囲で後始末をしようとも思っていないところが多々ある気がする。やっぱり、自分は知らないまま生きているのだろうなぁ。ヤバイな。もう少し気付くことが増えるといいのだが。と言いつつも、気が付いて生き辛くなるのは確かだろうなとも思う。社会に生きる人間として暮らす、そのスタンダードな姿がちょっとおかしく見える自分がいるのだ。同様に、社会から見られている自分の姿もたぶんちょっとおかしく見えているはずでもある。今のところ、まぁ、その位でちょうどいいか。今日もちょっと変な人でいよう。

では今日はこのへんで。