夏の後半から映画やドラマを立て続けに見ていたけれど、秋になって飽きが出て来た。座ってずっと見ているということが出来ない。もうソワソワする。涼しくなって来たので庭にある植物の手入れや手の届かなかった剪定も始める。たぶん時期としては間違っているかもしれない。けれど枝があちこちに放置されていて危なかったり、枯れた花がそのままだったり、夏の暑い時期に出来なかったことを今やっている。出来ることを出来るときに、だ。
どうしたって、手をかけられない時期が自分にはあるなぁと思って、庭の木も小さくしているが、年齢に従って手をかけることがどんどん出来なくなるだろう。今までまだ体力もあったけれど、寝込む回数が多くなると手をかけるのが難しいなと思う。今年の夏も、暑さのせいと暫く寝込んだ時期がいつもより長かったせいで、草や枝がボーボーでもしかしたらお隣に迷惑をかけることをギリギリ回避している程度だったかもしれない。やりたいことと自分のやれることをちゃんと見ようとしていなかったかもな。少し身の程を考慮して、その結果周りの人にも考慮するという程度には、身の回りのことを選んで行くのも必要だな。自分がOKだから良い、ということばかりでもないなと思う部分が出て来た。まぁ、ほんの少しだけれど、人がOKと思うところも気にしてみようと思った。
そこで、だ。家の中なら誰にも邪魔されず、人の目も要らないし自分の世界~と思っていたが、そうでもないことに気が付く。ここ何年か人を呼んでも気にしていなかったけれど、自分が快適であるだけではダメなのだなぁ。今更だが、目につくもの、におい、手触り、温度も心地いいかを考えてみた。物は少ないし、すっきりはしているけれど、温度に関しては心地良い場所とそうでない場所がある。タオルなんて、自分だけ使い切るならコレでもいいか・・・なんて思うけれど、人に使ってもらうためのいい一枚を用意することも必要かなと思う。においは自分では気が付かないけれど、もしかしたら気になる?窓は開けてるし、換気はしている等々やってはいるがどうだろう。自分なら気にしないが人は気になるかもしれないと思う点をいくつか挙げてみると、平気だけれど気にしてみたら自分も快適かもしれないということに気が付いた。特別我慢をしているわけでもないのだが、自分にも快適さを増やしてあげるきっかけになりそうだ。
お客様用、なんてミニマリストの人は作らない?そんなことはないだろう。それに私はミニマリストではない。友人からするとそう見える、というだけである。多少他人の視点を入れて考えてみようと試みる。その視点でモノを見てみるとわかることがある。いろんなものが放置されてんなぁ・・・その言葉に尽きる。虫や植物を自分は平気だからと放っているからいつの間にか占領されているし、使っている物は壊れているものが多い。だって、使えるから。それはそれでイイと思ってしまう。
・・・ちょっと待った。えっ、イイの?壊れていても、せめて手を入れてもっと清潔に見える方が良いなぁ。触ると危ないからテープで止めてある、というものが結構あるが、もう少し何とかしよう。華美にしたり、まっさらにしたり、余計に飾る必要はないけれど、清潔に見えるのがいいな。テープはボロくなるのだ。貼り替える?見慣れ過ぎて忘れているものもある。そこからでも、手を入れずそのままにしているところに手直しを加えよう。時間はある。
自分は平気、というのも疑ってみるか。イヤではない、程度かもしれない。本当はもっと○○だったらいいな、という声が隠れていないだろうか。部屋を見回してみるだけで、目につくところはある。興味があって見るというところは、無意識に気にしているところだ。もしかしたら心の中に影響しているかもしれないな。どうせなら、もっと気分良く暮らしたい。やらなきゃ、ではなく。自分の意識に蓋をしていないだろうかと疑おう。極寒の季節になる前に今のうちに気になっていることに取りかかるぞ。
では今日はこのへんで。