湿度が低いからか、温度が上がっているにもかかわらず、涼しく感じる。蒸し暑さが一番体にこたえる。蒸し暑いと、何もしていないのに疲れが倍増するから、それに比べて今日は過ごしやすい。
朝から食べたい物をしっかり食べて、昼過ぎに買い物に出かけた。日差しもそれほど熱くない。カラッとしている暑さは平気だ。とは言え、猛暑の中、出かける準備は大事だ。10分もかからないスーパーへ行くだけなのだが、一応保冷剤を手に握り締めて冷やしながら、水筒も持つ。家を出る前にカップ一杯の水分を取る。汗もたくさんかくので、小さなタオルを持ち歩く。完全な日傘というわけではないが、急な天候変化もあるから、必ず折りたたみの傘を開いて持つ。用心に越したことはない。この年齢から準備を習慣にしておけば、年を重ねたときに億劫になったり年齢の変化に対して自分の若さを過信したりしないで済むはずだ。
歩いて行くと道に人が少ない。けれど、猛スピードで進んで行くママチャリや、ゆっくり歩いている高齢者もいる。こんな時間帯に大変だなぁ。一人の高齢者が同じ道の向こう側から歩いてくる。角を曲がって見えなくなったと思ったが、違った。日陰にある出っ張ったコンクリートの仕切りのところで汗をふきふき腰かけて休んでいた。まだこの道の坂を上って行くのか。何度か気になってチラチラ見てしまった。倒れたりしてもおかしくない。この暑さなのにどうしても出かけたりしなければならないこともあるだろう。自分も冷蔵庫が空っぽになってしまったので、夕立が来る前にと思って出かけている。雨が降って、夜涼しくなってから出るのもいいのだが、意外とお店に何もなくなっていることが多くて、買いたいものが買えないこともある。そうなるとやっぱり昼間無理して出ちゃうんだよなぁ。
高齢者一人暮らしには配達とか御用聞きとかがいいのだろう。けれど全く買い物がなく出かけなくなるのも困ったものだから、塩梅が難しいが。今は何でも運んでくれる。お金を出しさえすれば、という条件付きで。けれど、働き手がいなくなる数十年後では、きっともう運んでくれる人も限られて来るのだろうなと思う。私が高齢者と呼ばれる年齢になる頃は、お金を出したって働き手がいないのだから、運んでくれる人がいなくなるのを想定していかないと。
歌の仲間とも話していたが、老老介護が当たり前の世の中になるのだから、自分たちは元気でいなくちゃ、ということが現実となるだろう。お互いが出来ることをそれぞれ協力してやることで生活をしていく。少し前の高齢者ばかりの田舎の暮らしがモデルかもしれないな。他に若い頼る人がいないのだから、どんなに高齢であっても過酷な場所であっても動くしかない。動かないと生きて行けないのだから。そんなことを思い浮かべている。それはある意味生きる活力を湧かせるものでもあって、元気を奪うことではない。弱者と言われるような人間ばかり集まったら、その弱者の集まりの中で付き合って、どうにかして生きて行くんだよなぁ。
けれど、若い人が集まる都会のような社会の中で、いつか年を取って社会に必要な能力がないと弱者認定された場合、何がモノをいうのだろう。お金はまだ使える代物だろうか。誰もが足腰が立たなくなって、腕力も知力も弱くなる時期はその先に必ず来る。認知症とかが進むと機嫌が悪くなるという。そうなると人との関係も自分でどうにか出来るものじゃないよな。何か出来るとしたら今だけかもなぁ。それとも、そんな自分であってもまだ何か出来ると思えるだろうか。そんなことを思った。
では今日はこのへんで。