理想と現実の間にムリが生まれるとたぶん痛いから

どうやら、失敗することに慣れて来た。今となっては失敗なんて大したことないのに、なぜあんなに大変だったり悩んだりしていたのだろうと思ってしまう。

失敗をあまり気にしなくなったのは、現実をよく見るようになったからかもしれない。失敗を恐れたりするのは、現実の自分を見ていないことから生まれている気がする。どうしようもない人間なのだ、と自分のことを認識出来るようになって、今まで自分に対して描いていた理想と現実の差に気が付き、自分が無理をしていることに気が付き、どうして出来ないのだろうと悩む必要がなくなった。失敗して出来なかったことにショックも受け無くなって来た。

物事は「出来る訳ないのだ」というところから今は始まっている。ゼロか、もしくはマイナスから始まっていて、スタートラインに立つことを準備しようかねぇ~というところにいる。スタートラインにすら立っていないので、いつだって緩やかな準備期間である。だから結果を得るのはまだ先だ、と思えて、焦りもない。

もし、自分の等身大の姿というものを見ないで、想像上というか理想の自分の姿を基準に設定して物事を考えてしまうと、「出来るはず」という思いのせいでスタートラインすら大きく見誤っている可能性が高いのだ。それに過大評価をしてしまったときには、もうすでに他人からの視点や基準を取り入れられていないから、絶対的に視野が狭いと思う。どんなに頑張って自分の視野が最大限だとしても、自分の思い込みの範疇からは出ていないのだ。そんな感じで物事を進めているのだから、結果上手く行かないし、無理していることも多い。また、その無理に気が付かないから、後でものすごく気力体力を使ってボロボロになってしまったりするのは想像が容易に出来る。

まさに、そういうふうに運動して昨日仲間がボロボロになっていた。効果が出るようにやりたいのだ、と言って始めた筋トレは、手術して体力筋力がものすごく落ちている自分の現実を顧みず、お手本の通りのスピードや回数をいきなりやって「体が痛い」と嘆いていた。それではやっぱりダメなのだ。失敗する。

まず、自分の体はお手本通りに出来る体じゃないことを知らねばならんのだ。速さもまずは自分の体の調子を見ながらゆっくり始めて、回数も自分の体の具合を見ながらここまでなら大丈夫だろうか?と様子を見るのだ。筋肉ムキムキで健康体の若い体を持ったお手本の人と同じ負荷をかけて良い自分の体なのかを、よく見極めなくてはいけないのだ。

自分を無視して、さもお手本の人のような体が自分にもある前提でやってしまっては、怪我の元だ。まずはお手本の体になるように準備した上で、やっと効果が得られる筋トレを開始し始められるっていうもの。自分の現実を知ることはとても大事なのだ。まぁ、ある意味現実を知った様だが、あまりにも過酷な知り方になってしまった。そういうのは避けた方がダメージが少ないというもの。

ああ、そうだそうだ。ダメージだよ。ダメージが少ないから、たくさん失敗出来るんだよ。現実と理想の差が大きいとダメージが大きくなるから、痛い思いしたくない自分は現実を知って、そこから何でも始めているんだよなぁ。今まで理想と現実を見誤って、大分ダメージ受けて、かなり過酷に痛い思いして現実を知ったということなんだろう。今頃になって、私はやっと学べたのか。はははは。

では今日はこのへんで。