嫌な怒りの感情も、誰かに話せば美味しいネタになるだけ

こんな日には愚痴を言おう。と決心したかのように自分に言い、疲れた体を引きずって、歌の練習へ急ぐ。行ったはいいが、疲れているせいで着いた頃には「ほとんど生命活動が無~」というような感じで、机に突っ伏して過ごしていた。声もあまり出ない。楽譜を見て座っているとぼんやりした頭で細かいところが気になり、先生に質問する。普段だったら次でいいな、と次回に持ち越して焦らないところだが、今日は人数も少なかったこともあって、気になった途端に口から言葉が出てしまう。疲れているときほど、気になった点が気になり過ぎて人に食らいつく。喧嘩するならこんなときだなぁと思った。考える前に動いてしまう。ストッパーが効かず、怖いなぁ。

元はと言うと、ここのところ眠れていなかったり、夜の食事があまりとれていなかったせいで、ずっと疲労感がたまっている。目はしょぼしょぼしているのに、いろんな物をたくさん読んだり見たりしている。少し休めばいいとは頭ではわかっているのに、気が付いたところから動き回ってばかりだ。ボランティアの会議や研修が続いているし、仲間のパートナーの訃報や入院などを耳にして、その後のことをいろいろ考えてしまって、頭が覚醒していて眠りが浅いのかもしれない。ありがたいことになぜか体はだるくも無くて動き回れるし、フラフラしないものだから、体は頭からの指令を受けてどんどん動く。さっきも書いたが、喧嘩するならこんな状態なのだろう。

と言うか、だからこそストッパーが効かず、小さな喧嘩をして来たのだ。ちょっとした連絡の受け取り方の違いで誤解が生まれたようだ。お互い苛立ちを隠せない。以前から少し言葉を伝えるのにストレスを抱えつつ慎重に対応していた相手との間で起こったほんの少しの摩擦。伝えることが難しいなと思っている相手とは円滑に物事を運びたいのに、こう自分の調子が悪いときはそれも出来ず、結局お互いが納得して解消する時間もなく、不満だけが残ってしまった。

このまま家に帰っても~、すぐ寝るぅ?と自分に聞いてみた。どうせ疲れていても寝れるはずはないし、不満が口先からこぼれ出る状態だったので、仲間に愚痴を聞いてもらうべく、その足で練習に向かったのだ。当たり前だが練習には身が入らず、出ない弱弱しい声で歌い終わると、仲間に不満になった経緯をぶちまけた。自分のこの回らない頭でなぜか回る口。不可解なアンバランスな状態。口だけが別の生き物みたいに動いていた。仲間は「聞く聞く~」「話して話して」と丸ごと受け入れるように態勢を整えてくれる。やっぱり疲れた体を押してでも仲間のところに来て良かった。歌はあまり練習にならなかったが、不満を溜めて一人の家に帰るより、仲間のいるところに助けを求め、ただそれだけのために会いに行く。そんな場所があって自分はとても恵まれている。話してみると、かなり溜まっていた感情がすっきりした。お腹に何もたまっていない。もう言葉が出て来ないなあと思った頃、仲間と別れ帰宅した。

まあ、今日はもしかしたら体が先に動いていたから、心に率直に動けていたのかもしれない。「腹が立って困っているのだ」と自分から言えたのだ。普段余裕があったら、きっと自分は飲み込んでばかりいるのだろう。飲み込んだたくさんの言葉を一人処理しているんじゃないかなぁと思った。それはそれで性分だ。たぶん考えたことを言葉にするのは多いが、自分に生まれた嫌な感情についてはほとんど言葉を「音」にして話すことはなかったのだよなぁと思う。

そう言えば、不満をぶちまけた後、仲間から「自分ならもっとひどい言葉を吐くよ」と言われた。私の怒りがそれほどでなくて良かったとも。そうか?これは「プチ怒り」らしい。かわいいもんだな、と言われた。自分は汚い言葉も声に出して音にするのが子供の頃から抵抗がある。汚い言葉を声に出して言う方が体には良いんだって!と仲間に言われたが、自分はその言葉を発する方が抵抗があってストレスになるんだなぁ・・・とそんなことにも気が付いた。

それに、感情的になっているなあと自分で思っていても、人にとっては大したことじゃないんだよねぇ。だから一人で嫌な感情をたくさん抱えているゾと思ったときは人に話した方が自分はラクになるし、相手にとっても大したことにはならないし、どちらかと言えば相手の方が同調して話に乗って来る。途中から仲間の方が「それ、この間あった自分のと同じだ!」と言うなり熱が入って、今回も何だかんだ私も聞く羽目になった。お互い持ちつ持たれつだ。遠慮しないで、また聞いてもらおう。

では今日はこのへんで。