今夜眠ったら「平凡な日々を過ごす夢」を見せてくれ

朝から目覚めが悪い。怖い夢を見て叫んで起きてしまった。どうやら昨日夕方テレビでやっていた映画を覚えていて、そのイメージが尾ひれを着けて、最近の不安と共に形作られて出て来たらしい。夢の中ではあんなに怖かったのに、起きてみるとよくある都市伝説の悪い噂話のようなものだっただけで、もしドラマなら陳腐なよくある作品にしかならない。それなのになぜか夢では恐怖が倍増する。声を出して起きてしまったのは、お化け屋敷で怖がらせられて、びっくりしただけのことのような感じなのにだ。

ただ筋書きはちゃんとあって、「なぜ怖いのか」がわかるものだった。今夜眠ったら同じ場面から始まる~とかはやめて欲しい。危ないし、暴力沙汰だし、あのままだと夢の中で死ぬ役だろうし。変えられるなら役を変えて欲しい。どう考えても被害者で、その後の展開ではもしかしたら正当防衛かなんかで生き残るけれど、後味が悪くなりそうだ。事件の謎を解く役とか、カッコ良さそうなことをやる役じゃなくてもいい。せめてダメな刑事さんとかエキストラみたいなものでもいいから、他の役にしてくれ~。勘弁して欲しい犯罪ドラマだった。

夢なのに、自分でなぜだか納得することもあるのが不思議だ。自分の夢に出て来るものはすべて結局自分だということも耳にする。夢の中の行動のひとつひとつ取り上げて行くと、説明が付いたりするのはそのせいだろうか。普段の日常の感情でさえ、夢と重なって出て来ることもある。あの時の、あの感情が出て来たんだな~と合点が行く。気持ちの表し方を違う人間を使って示していたりとかもする。夢は勝手で変幻自在、けれど良くも悪くも自分の今を表しているなあと思う。夢の内容自体がどうこうではなく、なぜこれを目にしているのかが問題なのだ。楽しい夢を見たときに楽しい結果を見たい自分がいるんだなと感じたり、怒っている姿を見て、現実には言わなかったことを代弁しているのかなと思ったり、その夢を見た自分の反応や理由を自分で知っていることに気が付くから厄介だなと思う。どうしようもなくて、仕方のないことだけれど、嫌なことも多い。

だからこそ、変な夢、嫌な夢を見た後には現実の日常の中での自分をどうにかするしかないなと思う。感じ方を止めることは出来ないが、少しずつどこか違うところへずらすことも出来ると思うし、ぼかしてみることは出来るような気がしている。黒いものを白には出来ないと言うけれど、黒だって白だって実はたくさんあるのだから。という、ただそのことを知ることだけでも変わることがあるのだ。きっと自分に変化をもたらす方法はあるはずだ。現実を変えて少しの感情や感覚の変化を起こすだけでも、全く違う方向へ進んで行くものだろう。

とまあ、ここまで来ると、自分は今夜の夢が気になっているとしか思えない文章を書いている。ふふふ。こちらの準備は万端だ。今日は朝から昨日までと違う一日を送ったのだ。好きなだけ好きな物を食べに行き、メニューもいつもと違い今まで食べたことのない物を選ぶ。無理せず電車に乗り、歩き、普段なら絶対に通らない古いボロボロの歩道橋を怖々渡り、家族の買い物にも付き合い、遠出することにも臆せず諦めなかった。自分の意思をゆっくり確認して優先して、予定を再度確認をしながらいくつかのメール返信をした。

まあ、外から見たら普通のことである。だが今日は結構チャレンジした。悔いはない。・・・悔い?やっぱり夢で死ぬのか。まるで最後の一日を思う存分生きたぞ!!とでもやっているかのような自分である。でも、毎日そう思いながら生きられればいつも素敵な一日になることは間違いないよな~。

気分爽快な一日だった。夢もそうであって欲しい・・・。では今日はこのへんで。