光栄えて身に余るなんて、どういうことか知っている?しかも余分が多め。

向かないことをやっているなぁと思っていたが、それでも任せてもらっているならやっててもいいよなと昨日突然思った。任せてくれてありがとうと感謝しても良いくらいだと思う。もっと出来る人がいるじゃないか、たまになんで自分がやらなきゃならんのだと思って腹を立てていたこともあったが、今はこんな自分でも頼りに任せてくれるのかと思ったら、なんだかとても、人からお願いされるのがもったいなく感じる。こんな自分でいいのか?

本当に自分が嫌なことなら断ってもいいはずだ。だが、どうにもならないからお願いしてくる人の気持ちを平気で突き返してばかりいたんじゃなかろうかと今までのことが気になった。私が何かをやるなんて、失敗もあるし、そのせいでその人も巻き込まれたときに恥をかくのも一緒だし、さらに増々物事が面倒くさくなるのも「込み」だよなぁ。それなのにそれでもお願いに来てたんだもんな、と今更気が付いた。自分は横柄で、どこか思い上がっていたんじゃなかろうか。断るなんて、何様だろう。そんなことを思った。

きっかけはいつも買いに行っているケーキ屋の店主だ。店の休みの前日、閉まる時間の直前に滑り込んでケーキを買っていたときのこと。いつもと違い時間が遅く、自分も荷物を背負って用事を済ませての帰りがけだったせいもあって、「もしかしてまた仕事始めた?」と聞かれた。今はしていない、まだ空っぽの時間を作りたい、家族から離れていて、仕事をしないでいられるちょうどいいタイミングなんだ等々話をした。そういう時間って必要だよね~と一人納得する店主の様子。それでもなんだかいつもと違って表情が硬い。どうしたのだろう。気になって、思わず聞いてしまった。休み前だし、疲れているのかという話にもなったが、そうでもなさそうだった。

実は店を手伝ってくれている人がね、と話し始めた。店の休みの日に詳しい話をする予定なのだが、どうやら病気らしいのだと。つい最近も掃除をする際にめまいがすると言って休んでいたのだが、どうも何らかの病気が判明したらしい。急に辞めることにはならないようだが、それでも今後心配なのだと語っていた。確かにイベント時期で忙しいときはスタッフが足りず、大変だという愚痴はいつも聞いていた。なんとなく、今までもやんわり仕事を手伝ってくれないか?ということをにおわす言葉も度々あったのだが。代わりに人に紹介したり勧めたりすることはあっても自分がやろうとは思えなかった。

なぜなら、私の好きなケーキを作る店主のことはとても気に入っているが、その分相手のことが何せ大事であればあるだけ、自分がやらかして迷惑をかけてしまうことの方が自分の頭に重くのしかかってしまう。手伝い自体は面白そうだけれど・・・と、結局は単に尻込みしているだけの自分がいることに気が付いてしまった。困っている相手を助けるより結局はやらかしてしまう自分が嫌で、自分自身の気持ちが優先なのだった。

そうか、ずっと募集しているもんなぁ。人足りないんだねぇ。そんなことを募集のポスターを見ながら自分が言うと、「やってくれるなら、こちらはいつでもウェルカムだよ。」と少しニヤッと笑って言いながら箱にケーキを詰めていた。帰宅して、一人頭の中で反芻していた。働く?手伝う?困っているときにやってくれないかと言われたら、イイよ~とホイホイ何でも引き受けて来たところも多い。それがここ数年、そういう自分に「待った」がかかっている。いいのだろうか、と。でも、ケーキ屋の店主は、ただの顔馴染みになっただけの自分を信用してくれていて、何だかいろいろ話もしているなぁ。こんな自分でも、こだわって開いているあの店に誘ってくれるんだな。思い出して手を合わせ「ありがとう」という言葉が自分から出ていた。

店を手伝う決断はともかくとして、それを発端に他にも頼られたり、お願いされたりするときのことが次々と浮かんで来た。今やっているボランティアのあれこれの中での役回り。イヤだなぁと思ってばかりいたことも多い。「やらかしそう」と思って断りたいものがあるが、自分のことを理解していると思えて、話し合いも協力も惜しまない仲間の中では、頼まれたら結局はすんなりやっている。そうでない場合は押し付けと感じるし、お互いにやる気のないことであって形だけだったりして、自分がやる意味がない、と思ってやらないでいる。プライドみたいなものがどんどん高くなり、失敗を避け常に自分を守ろうとしてしまうのだろうと思う。協力してくれない間柄の中では私は一切動かなくなる。これって、人間関係が私のやる気ともろに連動しているんだなぁ。当たり前だよな。まぁ、そこは正直だ。どうにもならない。反応するものだろう。ここまで書いて、そんなことに気が付いた。

自分も、他人より自分優先(大事だ)で動いていたり、無意識に反応もちゃんとして選んでいる。けして、むやみやたらに闇雲に何でも引き受けている訳でもないし、任されたことを選んでいるのだなあと分かって来た。頼まれて、ホイホイやっていくこともあれば、絶対やらないと断ることもちゃんと出来る。ただね、頼まれたり、任されたことをありがたく思う気持ちがあまりなかったかもしれないなとは思う。やった後は気分は良かったけれど、言葉にしてみて改めて感謝みたいな、温かい、そういう気持ちになっていたのかと思う。光栄です、って言ってもいいかもしれないなぁ。もちろん、身に余ってはいるものだけれど。

では今日はこのへんで。