ただ食べるより、誰かと食べて、楽しく美味しく栄養にして。あとは一人寝るけどさ。

眠い眠い。眠たくて昨夜は寝た。水木金土、動き回ってしまったから、頭は覚醒して寝つけず、十分に睡眠を取れていなかったのだろう。昨夜はブログは書かずに早寝して、今朝は二度寝した。おかげで今日は眠くなくなった。体の動きにも無理を感じない。昨日までピアノの指先の動きが鈍くなって、練習もほとんど出来なかった。睡眠不足バロメーターはピアノの練習で椅子に腰かけて眠たくなるか、または動きが鈍くなるかだ。今後も気を付けておこう。

昨日は少し離れたところに住んでいる家族が昼に来た。最近転職して自宅勤務しかないので、人とあまり話していないらしい。運動量もどうやら減っているらしい。太った、と言っていたが、こちらから見るとどこに肉付きが良くなったのかがわからない姿だ。クミンを使った料理を最近は気に入ってよく食べていると聞いた。ナスやトマトを合わせたスパイシーな料理をしているとのこと。野菜が好きなので心配したが、どうやら肉もちゃんとたっぷり加えているらしい。それに米を10キロ、一か月に食べていると聞いた。多いのか?とも思ったが、年齢や活動量、全て自炊ということを考えると標準的なのだということがわかった。

改めて考えてみると、米を食べる量が他の家よりも少ないのかもしれないな。最近は自分一人だと雑穀や小豆も入れて好んで食べているから、より少ない。今の自分の年齢や運動量を考えるとこの位で十分だが、家族が若い頃を考えると、いつだってほっそりしていたのは、この炭水化物の量が少なかったからかもしれないなと思う。たかが米、されど米。けして減らしていたわけではなかったが、たくさん食べていたわけではなかったのかもしれないなぁ。食べ過ぎよりはいいか。いつまでも肥満はなく、血液はサラサラ、健康な方がいい。

もう一人の家族とスーパーで買い物をしていたときのこと。店の野菜売り場近くに「ベジチェック」というような名前の、手の平を付けて判定する野菜摂取量を計る機械があったので、家族が計っていた。ちょっと普通より少し足りないと出る。自分もやってみた。十分取れていると出ていた。なぜかなぁと不思議に思い、訪れる度に計っていた。結果はほぼ同じであった。家族は少し増えたこともあったが、私の結果は常に十分で変わらず。同じように食べているのに、差があるのは結局体の大きさとその摂取量に違いがあるんだろう。食べている量だけでなく、もしかしたら自身の体が吸収している能力の差が出るのかもしれないとも思う。

吸収率の違いのようなものがあるのかなと。食べ物を同じ量摂取しても、吸収して代謝して、蓄積される量と排出されて行く量には個人差が出るはずだ。太りやすいとか痩せやすいとか、目に見えて違うことがあるのと同じだ。それに加えて、私は年を重ねて行く間にその吸収率が下がって来るかもなあと少し危惧している。誰でも年を取っていつかは吸収率が下がるだろうけれど、今この年齢でも、栄養をいかに食べ物のまま、体に取り入れる能力を落とさないで生きて行けるかが人にとって大事なことだと思う。どんなに栄養剤を体に直接流し込んでも、人間というのは弱って行くらしいからだ。父が病気になったときに医者が言った通り、点滴などでは元気にならなかったが、口から食べ物を入れて食事を取り始めた途端にみるみる元気になっていた姿を見ていたせいもある。元気に過ごすためには、口から何らかの食べ物をいかに自分の体を駆使して吸収して栄養に変えて行けるかなのだとそのときに思ったのだ。食べるというのは生きて行くための「力」であり、食べることは大事だなと思って、今も過ごしている。

病気で食が細くなって食べられない人ならいざ知らず、健康でまだ若いのに、口から美味しく食べ物を食べられる力があるにもかかわらず、サプリメントや栄養剤を取ることに頼ってしまい、食べ物を食べない人がいる。それは食べ物を食べる力を持続するのを自ら放棄しているように私からは見える。もったいないなぁと。プロテインより肉や魚、豆などを食べること、ビタミン剤を飲むより果物や野菜を食べることの方が良いんじゃないかなぁ。それとも「食べること」そのものが今生きている人たちの中で面倒になってしまったのか。美味しく食べたいと思う人はいなくなってしまうのかなぁ。

そういう私自身も、一人で過ごすようになって数か月後、食べること自体が面倒になって、ものすごく小食になってしまった時期がある。気が付いたときに、これはいけないなと思って、誰か誘っては人と食事をすることに努めたら、次第に食欲も意識して出て来て、十分な量を食べられるようになっていった。人と食事をすると元気になるのは、もしかしたら食欲を意識しないでも十分必要量食べられて、しかも美味しいねと言って、美味しくなるようになっているのかもしれない。高齢者の食事会でも、普段一人で食べている方々が「美味しいね」と言い合いながらあれもこれも・・・といつもより食べて、本当にその気になって美味しく食べているのだろうと見ていて思う。

ある夫婦の奥さまから、こんな話を聞いたことがある。子ども時代に家庭内で食事を家族と一緒に取ることが一切なかったためなのか、楽しいと思って食べる習慣がなく、食事そのものが嫌いだった。料理にももちろん興味が無かった。食べ物を口にするのが面倒だったそうだ。けれど、旦那さんと付き合うようになって、度々一緒にご飯を食べることが多くなり、最初はただ付き合いで食べていたが一緒に食べることが習慣になり、旦那さんが自宅で料理をしていろんな物を作って食べる機会が増えて、今では食べるのが楽しくなったのだと。食べることに興味が湧いて自分でも料理をするようになったと言い、そのとき私が作ったサラダを「美味しい美味しい」とお代わりして最後まで食べて、そのサラダのレシピを教えて欲しいと言って来た。この方は人と食事をする楽しさを覚えたんだなぁと思ったし、自分にも幸せな気分が伝わって来た。必要だから食べるより、美味しく楽しく誰かと一緒に食べる。こっちの方がいいよなぁ。

どこかで「食」の力を信じている自分がいる。ちゃんとみんなで楽しく食事をすれば、長生き出来て、仲良く出来て、一日3回も楽しみが増えて、平和な社会になるんじゃないかなぁ。

では今日はこのへんで。