出来ることなら心地良くお互いを裏切りませんかという提案に乗ってくれたらいいなぁ。

家族がひとり増えた。暫らく家にいることとなる。一緒にいるのが久しぶり過ぎて家に誰かが居るという気配の中で寝るに寝つけない夜を過ごし、朝はどちらかが起きるかわからないままどのタイミングで起きようかと思案している間に、かなり布団の中でうつらうつらしながら過ごして、あっという間の時間を過ごしてしまった。けれど、まだ眠れる。

ほとんど昼になっているような時間にご飯の支度をしつつ、辛うじて今日の洗濯などを済ませたものの、長い時間をかけて話をしながらご飯を食べる。片付けをしても、土産物のお菓子が目に入り、次から次へと封を開けてたらふく食べていた。いつもより血糖値も上がってしまったせいか、それとも足りていない睡眠のせいかわからないが、その後もずっと眠い。夕方近くになってもお互いまだ動き出す様子はなく、話をしてゴロゴロしていた。やっと一時間程度動くか、と思ってブログを書き出した次第である。

家族とはいえ、普段接して過ごさないから相手の心地良いタイミングを計るようになるのか、気を遣っているわけでもないのにいちいち行動が引きずられ、食事も身支度も時間がかかっている。というかまだ着替えてない。以前はこんなに合わせる必要もないが意識すらもなかった。外に仕事等の予定があってパタパタと動いて相手を見る余裕がなかったからだ。とにかく外の予定にひたすら間に合わせて動いていくようなものだったと思う。今は、人に合わせるばかりの外の予定もないし、自分の決めた予定も何も特にないからこんなことになる。

しかも、家族は完全なる休暇を楽しみに家に来た。休暇だ。自分にとってはいつもどの日もゴロゴロだけど、休暇というのとは違う気がする。ゴロゴロとは違う、「相手の休暇」に陥れられ、すでに一緒に過ごす二日目にしてかなりの影響を受けている。これからどんなふうになってしまうのだろう。外からの指定の用事で、自分にあまり変えられない予定があるときは恐らく自分も家族も勝手なそれぞれのペースで動くけれど、自分都合の予定がないとか外の予定がないと相手の動きにお互いが合わせるよ、となる。こうなってくると、今日みたいな有様になって行くのは目に見えている。相手が何もしないように見えたとしたら、自分は結果、多分に何もしないで過ごすことになるのだ。

私は本当にそれでいいのか?起きてから度々頭を過る言葉だ。別に地を這ってどうにかこうにか、と考えて必死に動こうという日でもないので、相手の休暇に合わせて過ごすだけでいいはずだ。けれど、私は休暇と呼ばれる日がないというか、すべてが休みみたいなものでどの日も同等な休日である。家族がいる1か月ほどは休日の中にさらに新しい休日感が増す気がして来た。休日に休日を重ねるとは?これからが見ものである。

危惧しているのは、人が休暇を過ごす、というのは一般的にかなりお金を遣うことで時間を費やす場合が多いことだ。以前私の家に1か月居たときは、本人もお金を一番遣う時期になったと言っている。普段働いているときは、それなりに気にしながら金銭をコントロールして来たような話を聞いたが、その態勢が一旦緩んでしまうのが特別なこの休暇中なのだ。わかるよ~。私も家族が「居る」からと、特別感を出してしまっているような。これは私も同じように金銭感覚が緩み、行動を共にして過ごしてしまう暗示があり、お金を一番遣う時期になる気がする。どこまで影響を受けちゃうんだろうか。

今お腹が空いてきている。きっとこのまま外へ美味しい物をお金をかけるべく探しに簡単に外に出て行ってしまうだろう。ここに新しい表現が加わる。ゴロゴロではなく今はズルズルなんじゃないか。すべての行動にこの言葉が付かないように頑張りたい・・・。休日に頑張るって何だかなぁ。コレ、もしや働いてる?

では今日はこのへんで。