無為な一日を過ごそうと力んで武者震いする

無為に過ごすことを試みる。試みた途端に無為にはならないのだが、とりあえず外に出た。親の住んでいるところへ家族と二人で出た。家族は猫を触りに行き、私は親の飼っている猫が食べないキャットフードを受け取りに出たのだ。用があったことを思い出した。そうそう。親にお金を届けることと、使わない猫のエサをもらうこと。歩いて向かったときには結構無為になっている。

帰宅したら、親の玄関にたまっていたので持ち帰った紙のゴミに該当する諸々を処分。釘も出て来た。猫のエサのパウチを引きちぎって開けたらしきゴミもある。なんでだ?すぐ捨てれば済むことなのに。年を取ると面倒が増すのか、その場に置いて忘れるのか。・・・どっちもである。いっそのことシュレッダーとゴミ箱は玄関に置こうか。でも、無駄だろう。ゴミは捨てる習慣があるかどうかだ。シュレッダーとゴミ箱があっても、捨てない人は最初から捨てることがない。親の家では何ならゴミ箱とシュレッダーを捨てるところから始めた方が良いだろう。ゴミが確実に二つ減るはず。実現させないが、そう思う。

ひとまず午前中に親の家の用を終えて、また家を出た。ピクニックがいいな~という言葉が聞こえたので、景品でもらった外用のクッションを倉庫から取り出して持って出かけた。なぜ自分だけ、と家族に言われたがひとつしかない。いいよ、自分は若いからと言われたが、年齢が若くても何でもひとつはひとつだ。他のレジャーシートはしまい場所が違っていて持って来ていないんだとどうでもいい言い訳をしつつ、近所に前からあるパンのお店に行きたいということで少し歩いた。親の家のゴミ処理を自宅でしたせいで出遅れている。12時頃にはお店のパンは種類が大分減っていた。楽しみにしていたバーガーがもう1種類になっていて、ほぼ無い。残っていたメンチカツバーガーとドーナツの類をひとまず買って食べることにした。

川を埋めて散歩道を作られたところがあり、公園のように途中にベンチがある。普段行ったことがない場所まで歩いてみた。小さな区画だけれど竹林もあるところで、ベンチに腰掛けて食べ始める。背側に道路があるので、たまに話をしながら通る人たちがいたが他のところに比べてかなり静かである。大きな道路から一本離れた道というだけなのに車の音があまりしない。ちょっとこれは発見だった。近くに川があり、カワウやアオサギが通り過ぎて行った。自然多し。住宅街の中にも小さな川だか用水路のようなものが所々残っていて、ここは川の中に街があるのだな。

食べ終わったが、もう一食食べないとお腹がダメだな~と二人で言い合いながら、また川沿いを歩いて行った。近場で何かカフェとかないかな?と家族が調べて、行ったことのないお店を見つけたのでぶらぶら行ってみた。かなり遠回りしながらの丘越え。住宅地だけれど、山っぽい。畑も広がっている。坂を上ると「通り抜けが困難」と書かれているようなものが見える。道じゃないのか?行き止まりか?と思っていたら、車だけ通れないようだ。なので歩き進める。けれど、こんなところにカフェがあるのか。周りはさびれた倉庫、大きな農家のような住宅が点在している。空地のようなところや工場のガラクタ置き場ようなところもある。少し寂れた場所になってきた。もう少しで着くよ、という家族の言葉で先を見ると、道の先は見えないが急な坂道になっているのがわかる。曲がればありそうだ。少し急な坂を上り詰めるとすぐに平らになる。工務店のような家屋が見えた横に、テラス席もあるカフェらしき家屋が見えて来た。着いた!けど入れる保証はない。

階段を上ると、私らと同着で先に入った二人が通されて、少し待ったが入ることが出来た。店がどうやら忙しい。今は忙しくて料理が出て来るのが遅いことやオーダーはゆっくり考えてくれた方が都合がいい、と店員が話す。忙しいわりに丁寧にじっくり話すのが不思議。そういうお店なのだな~。お水の配膳や食事の片付けをセルフサービスでとお願いされる。注文はQRを読み込む。これも自分でやることになる。最近はそうやった方が小さなお店はラクだろう。人は料理を提供するだけ。だったら会計も最初に支払って、全てセルフでもいいじゃないかな?と思うようなお店だったが、そこは違った。現金で最後に払うようだ。

テラス席から畑が広がって見える。虫も入って来るが、風がなかったおかげで畑の土が飛んで来なかった。ちょうどいい心地良い環境だった。先ほどの店員が度々オーダーを間違えて、あちこちで謝っている。お店にはあと二人、料理を作る人、サーブする人もいたが、他のほとんどの作業をその店員がパタパタと動き回っている。「彼女ひとりで自分の店を出したらいいのに」と私が言った言葉に家族も頷く。店の雰囲気は彼女が明るく作っているように見えた。

30分位は待たされたが、味は美味しかった。ラストオーダーぎりぎりの時間だったこともあって、希望した物がほとんどなかったから、軽く食べられる物を考えて頼んでいた。出て来たのは、メニューの写真よりもあまりに大きめの具材や量。笑ってしまった。ボリュームがすごい。チキンサラダプレートを頼んだ家族はあまりのチキンの量に見たとき口を開けた。多い、しかも大きい。ある意味詐欺だ~。

一度ランチを軽く食べている身で食べるにはかなりの量だったけれど、二人で食べ切った。食べ終わった頃、先程の店員がなぜか大きなドリンクを二つ持って来て現れる。頼んでいないことを伝えるとまた謝って戻って行った。たぶん、私の後ろの席に座っていた二人の物だろう。もう帰っちゃったけれど。何度もいろいろ間違えていたがこちらにも来たか。お~。お客さんすべてに謝りを入れていることになったよなぁ。それはそれでナカナカないぞ。

そのことについてのカラクリみたいなことを耳にした。どうやらこの店の料理人ともう一人の他は、全ていつもたまに来るボランティアを使っているらしい。閉店間近にやって来た人がたまたま私ら二人の近くに座り、店のフロアにいた一人と話し始めてわかった。あちこちから希望者がボランティアで月に1、2度程度好きな時に2時間程度フロアと洗い場を手伝うシステムがあるらしい。賄いを提供しているので、食べたら動く、みたいなことをやっているようだ。家の都合で出られないときも自由、出られるときに、希望者と店がお互い声をかけあって一人だけお願いしていたりすると話していた。

へ~。そんな働き方みたいなものがあるのだなぁと驚いた。なぜそんなに手伝いに来る人がいるのだろうか。レシピや仕込みとか扱う野菜など、特別なのかもしれない。料理人の人のことを「先生が○○」とべた褒めしていたから、きっと学ぶ場としてあるのかもしれない。ただ、店の人がへんぴな場所と言っていたくらいどこかから来ても面倒で遠い。電車で来て近隣の駅からバスを使うか、車でしか来ないような場所だ。近隣に住んでいるならまだしも、今日来ていたボランティア希望者は電車で数駅位先に住んでいた。交通費は自己負担だ。今時お金をかけてわざわざ来る魅力とはなんだろうな~。

量も人も場所も、なぜ?と思うような店に今日は辿り着いた。食べて、歩いて、お金を消費という経済活動で世界の役に立つというよくある一日。お金をわざわざかけたのは私も同じだ。歩き続けたりもした。歩くのに意味はない。ただ歩くだけだ。10キロちょっとは歩いた。それだけのこと。お腹が空いたから思いついたところに行って食べたりする。帰りにケーキも買って来た。何となくだ。意味なんて必要なくて、今日も生きた。それだけだ。無為に過ごす、ただ生きているって素晴らしいよな。みんなそうなのかもなぁ。同じようなものか。

では今日はこのへんで。