淡水でも海水でもひたすら泳ぐ小つぶな生き物の声を聞く優秀な人々

おお、受け止めてくれていたんだ。ボランティアの雑用で役所に行き、そこの担当職員と話をした。少し前、とんがったままの自分の発言内容について、職員の人たちが自分事として受け止めてくれたようで、検討し始めていることを耳にした。「コレ、やるの?本気かよ。」と思うことが事業として出て来るけれど、自分では一体誰がやるのだろうと思ってもどこか他人事である。負担はあるだろうな~と薄っすらでも思っていたとしても、コレやるのは自分じゃないんで、と思って進めることも多いのだろう。最近ある事業を聞いて「自分だったら絶対にやらない」と思ったそうだ。いかに自分の事として考えられるか、ということ。考えていたら身が持たないだろうに。だから真摯に発言を受け止めてくれた人がいたことに嬉しさを感じた。それに、どうにかしようと動く人たちの優秀さ。私は気が付いたことをどうにかしてくれるそういう優秀な人たちがちゃんといるからこそ、せめて気が付いたことだけは伝えて行くのがいいなと思って帰宅した。自分が出来るのは昔も今もそのくらいだ。

いつだって「事なかれ主義」の波に上手く乗れないで来た。自分で動くとか、または考えて人にも指示を出すとか、そういうのは本当に出来なくて、そのくせ言うことだけ言ってしまう。だからこそ、波風立てずに世界の隅っこでジト~と何も言わず静かに穏やかに出来るように身を隠しているような生活をしていよう、そうしようと思っているのだ。どこか「言い出したヤツがやる」とか「言うだけの人はいくらでもいる」とか言われ、このままスムーズに終わらせたかったのに!!とお怒りも買うし、結局何かをやる人がいなくて自分がやらされることになるし、常に面倒くさいのだ。そういう自分と比べて、みんな頭がいいのだ。何も言わないで目を閉じて、私はいない人ですよ~と、それこそスンとして身を守ることが上手い。それが出来ない。10人いて、私以外の9人がその状況を黙って流していたら、自分の意見が肩透かしとなり、たぶん問題は起きないが、意外とそうでもない。他にいる眠っていた2人くらいが何だか急に眼がランランとして光を放ち動き始めたりする。そしてさざ波は大嵐へ。話は長くなるのだ。解決も難しく、治まるものも治まらないことになっていく・・・。

もう、それでも仕方ないかな~と思って、つなぎ役のつもりでいる。スンからランランへ。しかも、私は自分から望んでここにいるわけではなく、という言い訳付きで。ちゃんとした人たちがやらない、やらないって言って、周りに押し付けて行った先には、私なんかがやっちゃってて、他の誰もやらないとこうなるんだよ、って思っているふしがある。ちょっと自虐的かもしれないが、私よりもっといい人がいるだろうに、と常に思うのだ。

まぁ、それでも、自分を含めてこの社会が出来ちゃっていることには変わりなくて、受け入れてもらうしかないと思っている。今は私みたいな変などうしようもない人も、まだ受け入れていられる許容度が高い社会だなと感じる。もしいろんな統制が行われてしまったら、事を進めるために「アイツがいないときに」とか、どんどん私は排除されるだろう。どんな生き方の人も、どんな境遇の人も、どんな状態の人も、いろんな人がまだ受け入れられている社会なのだろうなぁ。

もしくは、穿った見方をすれば、自分みたいな人は、本当はどうでもいい場所にあてがい、向かわされて自分の時間が割かれるように、動かされているとも言える。小さなプールで「ここは大海だよ」と泳がされ、何となくたくさん泳いだつもりになって満足させられているのかもしれない。そしたら大勢に影響ないもんな。ははは、そっちかもなぁ。だったらそれはそれでいいか。安心安全自由だ。どちらにしても、自分はこれからもこんな感じだろう。自分はその中で生きることに変わりないのだから。今日も出来ることをやるだけ~。

では今日はこのへんで。