年度末、これから変化も多くなるのだろう。自分のボランティア団体の中でメンバーが去ることになっている。担当の職員についても異動の話も出ている。今日で去る予定のメンバーとはこれからも地域のあちこちで顔を会わせる機会がまだありそうだ。数人で集まって飲んで話すことも好きなので、早速送別会の日程を決めて帰宅。少し前に見送った人も呼ぶことになる。「同時に励ます会だよ」と、来期に面倒な役割を頂いたので自分も励まされるらしい。
いくつかの面倒な役割を頂いている。以前の自分なら極力他の誰かにお願いするようにしていたが、最近は自分では出来るかどうかわからないし人に迷惑もかかるかもなと思うことも、もう引き受けることにした。声がかかる様々な役割は自分よりもっと適当な人がいるはずである。けれど、自分より出来る人とかがいたとしても、そういう人が引き受けてはくれない現状があるから回って来ている役割だ。自分よりも仕事が出来て、人当たり良く、要領も良くて事がスムーズに運べる人など、山ほどいるのだ。1000人そこに人がいるとしたら、自分よりもちゃんと役割を担うことが出来る人が999人いると自分は理解している。けれど、そんなことはもう仕方が無い。実際には断った方がいいということもきっとあるだろう。それはやってみて、自動的に私にはやらせたくない、と判断されればいいのだと思う。あの人ダメでしたね、と思って他の誰かが引き受けてくれて、自分が引き受けた役割から抜けられることになるはずだ、などと勝手に思っているところもある。努力はするが、自分で気が付かないことまでは努力はしないし、出来ない。だから引き受けて、堂々と失敗するしかないのだ。
人からどう見られるか、ということを意識して生きられない。人からどう見られているかを想像しても、「だからどうした」と思ってしまうところがある。別に人から後ろ指さされるような悪いことを率先してやるわけでもないし、故意に人を傷つけようとするわけでもない。単に仕事がいろいろ出来なかったり、面倒臭がったり、忘れたり(最近多い)、人との間で言葉も上手く話せない不器用だったりで、きっと扱いに困るなあと思われるかもしれないが、それも「だからどうした」なのだ。それでどうこう言う位だったら、じゃあ自分より完璧な人間を連れて来てもらって、自分と変わってくれればいい。自分に出来るのはそれくらいだ。自分は自分が出来ることをやっているに過ぎないのだから。
などと、書いていて、太々しいヤツだなと思う。結局、自分なんかを誘った他人のせいにしているような感じだ。何かあったらお前たちのせいだゾと思いながらも、そばにいる人たちを見ていて、自分のことを悪く言わず、頼りにしてくれていて、常に笑い転げていることが多いのだから、こんな自分でもそんなに悪くないのだなと今は確かに思う。相変わらず何も出来ないが、それでも良いのだろうね。
今日は空気もぬくぬく、春も近い。やるべきことをリストアップなんてしないで、楽しそうなことを考えるのだ。では今日はこのへんで。