そろそろ、タイカンせよ。

バナナとビワをもらいに行った訳ではない。それとも今の私の時給がバナナとビワなのか。普段から実家に行くと時間を割いている私に「来てもらって悪いね。」と親は言いつつも、今日は他愛の無いことの話に付き合わされた。他人と話すのは好きなのに、親だとなぜこんなに大変なのだろう。この手にした果物をとりあえずリュックに詰め込み、親の集中力が途切れたタイミングで帰ることにした。そのときには、ほぼ1時間は経っていた。足が痛いと言っている人がその時間、外の玄関口で立ち話は出来るらしい。話が10分経過した頃に、私も「これもボランティア」という言葉と共に腹をくくっていたが、ここまで長くなるとは思ってもみなかった。「あの鳥、仲がいいなぁ。なんて言うんだっけ?」と言う親の目線の先には電線の上につがいのオナガがいた。よく集中力を途切れさせてくれたなぁ。何度も宅配のいろんなオニイサンが道で荷物を運んでいたのに、そのときはまだ切れなかったぞ。黒キャップの変なやつ~と思っている鳥に今日は助けられた。心の中で感謝した。

鳥に助けられて帰宅するとちょうど昼。昨日テレビで見てしまった刻み玉ねぎの盛りつけを思い出す。何の料理でも長ネギじゃなくて玉ねぎを乗せていた。真似したくなる。カツオのたたきに新玉ねぎを刻んでシンプルに食べる。ごく普通の組み合わせだが、旨い。生の玉ねぎを入れるのが苦手な家族が今はいない。やった~。今のうちに他の料理にも乗せて楽しんでおこう。ナポリタンとか焼きそば、ラーメンにも乗っていたなぁ。その土地のいろんな食べ方を様々な情報媒体から簡単に手に入って、自分の家でも出来るのだ。試してみるのは難しくない。やってみるだけだ。

もう20年ほど前のことだが、日本はテレビで流れる番組が料理とか食に関するものばかりでびっくりした、とある外国のピアニストが話していたのを聞いたことがある。自分の国にはこんなにずっと「食べ物」「人が食べている様子」をテレビで映すなんてことはないと驚いていた。そうなんだなぁと自分の方が驚いた。そんなに違うんだ。今はどうだろう。本当に今でも違うんだろうか。

他の国の材料も手に入るし、他の「国」というのもたくさん目にする。全然縁がなかった国の普通の暮らし、と言われるものも以前より画面から映し出されている。文献も手に入りやすくなったし、それこそ各国の料理本も図書館に入っていたり、興味が湧いた人たちが現地へ行き、そこから情報を流してくれている時代だ。おそらく、目にする機会は増えたのかもなあと思う。以前より知らない国より名前だけでも知っている国は増えたかなと思う。料理もそれこそ種類や材料が増えているだろう。

ただ残念なことに、情報媒体から得る情報は本当なのか、違いも含めて検証する術がない自分である。現地に行くほど旅好きじゃない。自分の目で肌で感じた感想を持てずにいる。出来ることと言ったら、料理に関して言えば、興味を持った国のお店に出かけるくらいである。さっきのピアニストは日本にいて長く過ごすことによって、感じたことを話してくれているから、その人の印象であり、私自身のものではない。この年齢になってから、自分が外に出て、どんな違いを感じるのだろうなぁと思ってしまう。ああ、行けばいいんだよ。行け、行けである。

外国まではちょっと…と思うが、国内なら、ナントカ。旅行というまでじゃなくても、行けるんじゃないか?書いていて、外国の現地の暮らしを体感・検証出来なくても、玉ねぎラーメンくらいは行けそうな気がして来た。検証、なるか?旅行好きではない、と言ったが、人から見れば長い時間電車に乗って日々あちこち移動していることが多い自分である。行けるよな。そもそも、結局「食」についてダラダラ書いてしまっている。行かなくても、何かやっぱりどう見ても自分がだんだん日本人くさい気がして来た。

では今日はこのへんで。