古代の鯨には手があり足があり。途中までしか観なかったがテレビでやっていた鯨の祖先のようなものなのか。鯨に手があったり、足があったりしたことには驚きだ。いつか覆される研究かもしれないが、今の段階では何かしら生き物は繋がっているのだなぁと思って見ていた。なぜ海に入って、そのまま住もうと思ったのかもわからない。けれど、こういう姿を見ると感じることがある。「同じもので出来ている」と。ただちょっと変化しただけ~。
想像でしかないけれど、地球に存在しているものは同じ成分でほとんど出来ているのだから、多少違ったものが混ざりつつ影響を受けて変化して、細分化されて種類が分かれ、もっともっと細かく種類が分かれて行って、いつしか個人という自分に辿りついているような気がする。同じものから出来ているから、相手は自分と同じであり、自分は相手でもあるような。だから、動植物、食べ物も実は自分の一部分を食べている。そんな気がしている。
以前ピアノを習っていた先生のお父様のことを思い出す。最後は人って石に話かけるんだよね、と。先生のお父様は元々健康に人一倍気を遣って過ごし、定年してから畑を作り、土を触って生きていた。レッスンに行くと度々野菜や果物をもらって帰って来たものだ。そのお父様がガンになって割とすぐに亡くなるのだが、病気になったことがわかる前の季節、なぜか石と話しているのをよく見かけたんだと先生は言っていた。動物とか植物に話かける時期が過ぎて、亡くなる人というのは石と話すようになるんだって。そのときそんな話を聞いた。もしかしたら、人は自分の死期が近づくと自然に対して自分が同化していくような感覚になって、仲間みたいに感じて話をするのかなあと思ったことを覚えている。
さて、今に限ったことではないが、最近とくに地球のすべてのモノが同じものであることを感じている。ここが大事なのだが、同じものだと「感じている」こと。命を繋げているのは、言わば自分の体の一部を形を変えながらお互いに食べ合って、循環して生きているような気がしている。だからこそ、他人と自分を比べるのは変な感じもしている。どこへ行っても見るものすべてが自分自身だとするなら愛せるのではなかろうか。今ある身が無くなっても、実は周りに在るとも思うような。これって、知り合いの宗教の本の中で書かれているようなことを言っている気がする。もしかしたら遠い昔の人も気が付いていて、それを書き残し伝えて来たのか?なんて。書き方や伝え方は様々なのだろうけれど。
これは死期が近い人がする考え方や感じ方なのかなぁと私は思っている。だから、まだまだ生きる時間が残っている人は話をしても頭で理解することは出来てもわからないかもしれないし、感じない人もいるだろう。そもそも、同じように考えたり感じたりするかどうかは本当にわからない。ま、わからないことだらけなんだよ。それも面白いもんだ。
非常に楽しく感じたり、嬉しく感じたり、このひとときの幸せを心の中で満たしていることが多いと、もしかしたら不安になることもあるのかもしれないが、私はなぜか無い。知り合いにあまりに幸せなことが起こったときに本人が「このまま死んじゃうんじゃないかな~」なんて不安がって言っていたことを思い出すが、ひとまず私は「じゃないかな~」という不安さえ無い。そのことがもしかしたら死期が近い人の特徴だったりしてとは思う。死んじゃうんじゃないかな?と思うだけだ。こんなに心配性な自分であるにもかかわらずである。おかしなもんだなぁ。
もし死期が近いと言われても、である。今日明日死ぬよ、と言われても、特別なことはしないよなぁ。一番先に思うのは、年老いた自分の世話を考えなくていいから楽だな~ということだ。長生きしてしまったら、お金がかかるからなぁ。今からそのために働くかどうか考えるのが面倒だなあと思っているくらいだ。それにこの先使わないと思う物を即座に処分出来る。しなくてもいいのだけれど。家族には全捨てでいい?と言われているし。未来のことを想像して欲望をリアル化してメモを取り、出来なくて心残りだというものを増やすのも面倒である。だから想像もしないな~。
大前提なのだが、ここで言っているのは体内感覚で死期が迫った場合のことである。誰にとっても不慮の事故や急な天変地異で亡くなる死期についてはわからない。もし病気などで余命宣告みたいなものを受けても、それこそ今とか次の瞬間とか誰が亡くなるのかわからないのだ。だから、死期が迫っているとなってもたぶん同じなのだろうなと思う。
ところで、病院での検査結果連絡は一抹の不安の方が当たったのだ。医療機関は急ぎのときは早めに連絡を入れるというのが決まりである。が、先生はやっぱり親切心から次の受診よりもより早く伝えて来たようだ。普通なら一か月先に伝えるところを今回は短期間で連絡してくれた。ありがたいと思いつつ、正直、検査は面倒で、しかも薬剤とかも体に悪い影響しかないと思ってしまうから、避けたいところだ。(担当の先生にたくさんの質問を投げかけて、かなりゴネた。迷惑な患者である。)けれど、面倒を先延ばすより結果を見てしまえばどうするかは自分の判断でいいわけだから、その後の気楽さが違う。ならばと思って早速検査日を決めて来た。
早かれ遅かれ、誰でも通る道が今来ただけのことなのだ。では今日はこのへんで。