飽きっぽいのに懲りなくて、凝るモノってなーんだ?

一日話をし続けた。丸一日だ。いろんな立場の人、年齢も経歴も、もちろん価値観も感じ方も違う人がいるところで、こんなにも人と話すのはさすがに久しぶりだ。7時間ほど、その中で互いに話をした。人の話を否定せず、とにかく聞き、相手の主体性を引き出すことに努める。その場での信頼関係を築いて、自分も主体的に自由に話をする。内側の感情や気持ちが移り変わって変化していく。日本ではなぜこんなにも自分の話をする機会を奪われているのかなあと不思議に思うくらい、参加していた人たちの多くが「こういう場がもっと身近にあればいいのに」と口にしていた。

私自身は恵まれているのだろう。自分のことを話す機会がある。他の人の話をただひたすら聞くこともあり、同時に自分の話を聞いてもらっていることも多いのかもしれない。だから、いつもとそれほど変わらないあたたかい「場」に感じた。ただ、ほんの少し特殊な「場」ではあって、時間が限られている忙しい「場」ではなく、ゆったり長く話していい感じはした。元々話すことに遠慮がないので、そういう意味では余分に気を遣わずに話すことは出来たんだろうな~。気持ちよく話はしていたんじゃないだろうか。疲れない。これだけ長い時間であるのにもかかわらず人と向き合い、自分と向き合うことで癒されるという感じで、満足感が増した。

人に話すということが、どれだけ自分自身との対話になるかということ。体験的に知っているが、一体どこでこんなふうに感じて、ずっと信念のように自分の中にうずくものは生まれたのだろう。話をしていて、高校生や大学生のときのことを度々思い出し、自分はあのときこんなことを言っていたなぁとか、サイコドラマ(心理劇)の研究会に行ってたなあとか、この感覚はすでにあの頃にあったのだと思い出した。また機会があるので、変わって行くことを記録出来たら、また新たな発見があるかもしれない。

さて、これで終わりではなかった。その後まだ人と話す。家族と久しぶりに会って、ご飯を食べ、ケーキを食べ、お茶を飲みながらさらに4時間。あ~、よく飽きないでやってるよ。本当に話してばかりいる人なんだな。毎度思うが、私を盗聴・観察している人がいたとしたらウンザリするだろうな。あまりに遅くなってしまうので、途中で仕方なく切り上げて帰宅した。

そして、さらに書く。一日ブログを書かなくてもいいだろうに、とも思ったがやっぱり書いちゃうのだ。1週間ほど寝不足でありながらまた書いてしまった。体調崩していないのは書いたり話したりしていることが自分の健康に作用しているのか?そうかもしれない。いや、そうでありたい。いや、そうだろうよ、という感じか。

明日は聴く一日になる。人が音楽と呼ぶもの。あれも人の言葉だよな~。

では今日はこのへんで。