同等か、それ以下か。

いっそ負けることが大切です、と聞こえて来た。なんとゴミ収集車から発している。天気が悪くてネガティブな空気が流れ込んでくると、聞き間違いが一緒に起こって来る。人って自分の都合よく聞き分けているんだなぁ~と思って、思わず笑ってしまった。今日のスタートはこんな感じだろう。まだ朝なのに、今日は暗い一日だぞとまるで呪いをかけられているような。まあ、きっと雨が降って暗い一日は決定かな~。

ブログを3か月ほど続けている。ブログの来訪者と読者の読みました~の数が違うことは分かって来たが、最近はどこをどう見て自分のブログに辿り着いているのだろうかと気になる。自分のブログもトップページから行くと、どこかに表示されていて、どう目についているのだろうと不思議になる。例えば日記の欄にUPされるまでタイムラグがあるにもかかわらず、表示されてもいない間に誰かが来て読んでいたりする。読者の人じゃない場合もある。え~、どこでどう目についた?と今でも不思議である。自分自身で探すことすら出来ないのに、である。もっといろんな人のをたくさん見ることが出来るページがあるんかいな。3か月ほど自分のブログと付き合っているけれど、未だに「日記」「暮らし」とかのタグ付けのところで見つける以外なくて、あとはどこで自分のことを探し出しているのだろう?来訪者、謎である。

そもそもUPされたと思われる自分のブログの場所を探せないのに、ずっと知らない人がどこかで見て来訪されているのが続いている。しかも何だかよくわからない数字が出ていたりする時がある。タイトルで引っかかった、というような内容云々ではなく、人の目に触れた場所は一体どこ?という疑問。過去のブログへ飛んだ、という場合でも、じゃあどこで過去のブログを見つけたのか?一体何をどう探したら行きつくんかーい。このブログのサイトは楽しみ方を知り尽くした人たちがたくさんいるんだなぁ。自分も少しは見分を広げる時間が必要かもしれない。

来訪者と言えば、最近は家の中を出たり入ったりしているヤモリ。すごい速さで動き回り、こちらが何もしていないのに階段を2、3段下りて留まって、こちらに口を開けて威嚇してくる。ピアノと窓の間を走り抜けて、チラチラこちらを見てはまた威嚇してくる。一体何なんだぁ?!相手にとっては必死なのかもしれないが、こちらの動きに反応してはいちいち威嚇してくる。ま、かわいいけど。踏んづけたりするのだけは嫌だな。たまに雨戸や窓、ドアの間に挟まってペラペラになったヤモリが出て来ることがある。際に生きる者の宿命かもしれないが、こちらも静かにゆっくり動くので、お願いだから無駄な殺生を自分にさせないで欲しいものである。

無駄な殺生と言えば、自分もかなりやって来たと思う。けれどこの間自分の体の検査をして何もなく、生き延びた感があった自分は、害虫と呼ばれる者たちに対して、今はかなり寛容になった気がする。小さくても命だし、どこかで循環のひとつを担っているはずだよな、と思う気持ちが強くなった。家の中に出現したときは、なるべく外に逃がしてやろうと思って今は四苦八苦している。

昔なら庭の足元にやなヤツが出たときに、ちょっとばかし先制攻撃を仕掛けていたものだが、今は止めている。家の中に入って来なければ、出来るだけ放置が基本である。塩かけたりお湯かけたりはしない。今朝もゴミを捨てに行く途中、特大のヌルヌルした蝸牛の親戚みたいな奴が庭先の飛び石の上で行く手を邪魔して来たが、避けて放って置いた。昔の私だったら早速塩をかけていただろう。今はしない。外だからね。いつか増えて、家族を作って、家の中に入って来たときは申し訳ないが始末させてもらうこともあるかもしれない。お互いが心地良い距離を保ちながら暮らす。まあ、これも自分勝手なルールでしかないが、出来る限り外に出している。

無駄な殺生とは言ったものの、無駄じゃない殺生って何か怖いな。この相手の命を削って、自分が生きるんだってことをやっちゃうわけだ。相手の命と自分の命を比べて、同じゃないのかと感じていたり、自分の命の方が絶対に大切だと確信を持って思えない場合、自分の方が生きていて申し訳ない、というふうに思ってしまうのも仕方ないのかもなぁ。太宰治が急に頭に浮かんだぞ。そして眠い。朝なのに。一時間ほど早起きしてしまったせいか、調子が出ない。だから、「きちんと分けることが大切です。」が聞こえなかったんだな。あああ。今日はすでに、いっそ負けましたってことで。

今日はこのへんで。