例えば、チャーハンが食べたくなる。とか。

小さな無視を繰り返している。自分に関係の無いこと、と捉えた瞬間に、まるでそこに何も無いかのように過ぎ去る。こういうことの繰り返しで成り立っている。意識してやっているのは相手に対してきっとちょっぴり意地悪かもしれない。相手に気が付かれたにもかかわらず、「無視しますね」という態度を取ることもある。そういうときには相手は傷つくこともある。それでも敢えて、何もしないという選択をわざわざ取るということも大いにある。その選択は相手が傷つくのを避けることになることもある。えー、何だっけ?とぼけるような。

ここでは、ブログの数々が毎日広がっている世界。目に映る文字は人を表しているのに、誰もその文字を全て拾うことはない。まあ無理だ。だから大半のブログに対して無視していることになる。実際の道では、お互いがすれ違うときには意識するけれど、ここでは違う。知らないうちに無視されている。その反対に、文字の羅列を意識して避ける、なんてことは最初から読まないと決めているときだけで、読まないと決めて画面をスクロールしていたって、たまにタイトルだけ知らないうちに眺めていることだってある。それでも自分としては何らかの無視を今も続けている。読まずに無視することを繰り返し行って、それでも引っかかったときにはその文字を追う行為をする。この取捨選択は出来るだけほとんどのことを無視する行為が続けられているからこそ、起きている。選択だ。無視し続けている中で、突然ココロは一体何に引っかかるのだろう。

文字は記号でしかない。形だ。しかも画面上に浮かぶ文字は筆跡などないから、細かい個性は削ぎ落されて、限りがあるはずだ。それでも何かの違いを察知している。不思議だ。「文字を読む」ではなく「文字を見る」ことを仕事にしていたときがあるけれど、そのときは文字の形だけを意識して見ていた。大量の文章を見ていただけである。意識下で見ているというよりは、無意識に文字を察知して感じ取る要素が多かったから、きっと読んでいないと思っていても読んでいたり、見ていないつもりでも目に映ったものを見分けていたんだと思う。いくつもの無視された文字も内容も、きっと勝手に自分の中に取り入れられているのだ。そして、忘れて行く。表面上は、である。

今の自分は文字をどう扱っているのだろう。読んでいない、見ていないつもりでいても、目に映った時点できっと影響を受けているのだ。人の持っている能力って恐ろしい。情報が過多と言われる世界になって、そのせいで、より疲れる要素が増えたんだろうなと思う。きっと頭の中は動きっ放しだ。最近は動画を見てしまってる上に、テレビで映画やドラマも観ている。

昨日なんてカンヌ映画祭の出品作を観ていて、寝る前に訳が分からない感情が渦巻いてしまった。未だにそれがどういうものだったか言葉にはならないが、体のどこかの部分にはっきりと刻まれて、記憶の深いところにも留まって、いつか急にまとまった内容となり言葉になって私の口からこぼれ出して来るのか、どうなのか。それが影響だよと自分では知らずに忘れた頃に行動に出てしまうものかもしれない。

毎日見たもの聞いたもの、感じてしまったものに関わらず、いろんな影響を知らず知らずに受けていて、後で飛び出した言葉や行動に繋がっていて、自分自身が驚いてしまうことになって行く。生きている限り、目や耳を塞ぐことは出来ない。それでも、小さな取捨選択をたくさん重ねて、複合体として総合的に判断した答えが出てくるはずだ。人は単体じゃなくて複合体だなぁ。小さな影響がそれぞれの形を作って変化して個性を作り上げている。けして、けして、真似できないたった一つの複合体なのだ~。

今日は一体何を書こうとしたのか。わからない。まぁ、いつもか。ブログを眺めていて、読んでいないのに読んでいるかのように頭が感じたり、訳もなく突然読みたくなったりするその不思議さが気になったのかなぁ。ここに来て、文字を眺めている人がいること、それ自体も含めて不思議な行為だといつも思っている。きっと少なからず、自分もそのことによって毎日影響を受けている。そういうあなたも、だ。否応なしに与えたり与えられる影響は、誰でも必ずあって、人生は、まあそんなもんだ。特別なことじゃない。無視している、無視していないも実は同じことだよなぁと最近思う。どっちも同じことなんだよなぁ。

だから、たくさん影響を受けて行けば一つのことは小さく、細かく、混ざりあったり、まとまったりして変容していくのだろう。おお、私の好きなチャーハンみたいだ。細かい材料はけして無くなっているわけではない。目立つ大きな具ばかり気を取られてしまうけれど、口の中に入ったときはいろんな細かい具材との複合体なのだ。日々のことも、人生もきっとそんな感じだ。だから今日もこのままで、今の気分で生きよう。自分が辿り着きたい場所へ知らないうちに勝手に進んで行くものだから。

では今日はこのへんで。