自分で自分の欲望を模倣する

朝から書いてみた。これからのことを少し考えている。書くことは好きだけれど、自分をひとつのところにおくのはきっと違うんじゃないかと思う。今日からちょっと変えてみよう。そのひとつとしてまずはブログを書くことから手をつけてみた。机の横に放置されているメモ書きを処分しようと思った。アレルギーの薬を飲み忘れたついでにもう止めてみよう。洋服を変えてみよう。みようみようだ。それでは早速取りかかる。

勤め人を辞めた後、仕事をしようと思うことはなかったけれど、少しは稼がないとなと思うことが時々心の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。お金の不安が出て来るのは、お金を遣っている限り仕方がないのだろうなということ。全く遣わなければ、気にするタイミングがないからそんなこともないのだろうが、外に出たり、書籍を読むと必ずと言っていいほど目にして、影響されて気にすることになる。何の刺激もないわけではない。もう一度、貯金や年金をチェックすることと、何が欲しくて何が要らなくて、どう生きていたら自分が満足するのかを書き出して振り返ってみることをしようかと思う。ある程度自分の暮らしをその都度振り返れば、思い出すことの中にこれからを生きる大事なヒントがあるだろう。いつだって軌道修正は出来るのだ。

自分の欲望は他人の欲望を模倣するという言葉を見た。本から得たのではなく、それを読んだ人が書いた文章を読んだのだが、単純にその言葉を見て納得。だからSNSを見たり、外に出たりするだけで、やってみたくなるのだろう。他人じゃなくても、例えば自分が書いた物にも影響される。だからこそ、「こうしたい」とかではなく「こうする」と、なりたい想像図を明確に文章に書いて、自分にスイッチを促すようなことも出来てしまうのだな。さて、自分はどんなことを書いてしまおうか。

ただでさえ影響を受けやすい自分だ。簡単にのめり込むだろう。大胆なことを書いてしまえ~。

では今はこのへんで。