良い気分さんと悪い気分さんから生まれたお子様ってどんな気分さんになりますか

朝の連ドラを見るためだけに起きた。昨日の寝不足とは打って変わって、爽やかな朝なのに、今日起きてやることと言ったらテレビを見るということだけだった。テレビを見れた。やった~!という人はあまりいないかもしれない。テレビという物を若者は見なくなったし、家にテレビはないという人が増えている昨今、この一日の唯一の生きる目標が朝の連ドラを見るというのは稀かもしれない。朝の15分間テレビを見ているだけで目標達成だ。あとの時間は降って湧いたおまけの一日の始まりだ。

今は一日の目標とかやることリストの中身は少ない方が良いことだと思っている。若いときはリストを作って消化していたのだが、どうも達成感がなかったように思う。5個くらい書いていても、半分は今日じゃなくていいことばかり。もっとたくさん書いたとしても1つか2つしかやる気は持たないし、達成したその2つくらいで1日の仕事はすでに終了感があったからだ。とくに自分のためにやっておこうと思ったことの中にはほとんど意味の無いことを書いていたように思う。明日死んじゃったら「どうでもいいこと」みたいなことが多い。だから私は朝思いついたことをやれればいいのだ。それが今を生きる感じがする。今日思って、明日はまた違うことを思うのだから。

以前「絶望している」と言う人たちと一緒に過ごしていたのだが、絶望するってことはそれだけその人に希望があるんだね、と家族に言われたことがある。そうかもしれないなぁと思っていた。絶望を語る人たちは夢や希望がたくさんあったのだ。絶望するほどこうしたい、ああしたいと思っていながら、それが叶わなかった人たち。たくさん夢があったんだな~とうらやましかったなぁ。大して私は夢や希望がなかったのでね。けれど、ああしたい、こうしたい、という自分の過去の気持ちに囚われてしまって、今はこうしてみたいという気持ちにならないのがとても残念な気持ちにもなった。人のココロは難しいものだ。元気がない、気力が湧いていない状態だったのだ。今は元気になっているだろうか。たまに道で会うことが出来たなら、声をかけて欲しいが、声をかけられるくらいの元気が今もないというのが現状かもしれない。その場を去ってしまった自分に対して、なんらかの不信感もあるだろうしなぁ。人とは一期一会。一緒にいたときに何が出来たかわからないけれど、私の方がいろいろもらっているのは確かだ。ありがとう。相手に読めない手紙を書いているかのようだ。届けようのない手紙だ。

だが、これは読んだ人に伝わって、めぐりめぐって、相手の人に伝わることがある。人とは影響し合う。ものすごく離れた誰かにダイレクトに伝わらなくても、私から発した言葉なり行動なりが他の人へ影響して行き、遠くまで伝わって行くものだ。忘れかけた頃にその答えが返って来たりもする。要は自分が今やっていることは、相手からいつか伝わって来るから、優しさを欲っするならば優しくすること。それに尽きる。そう、何でも自分に向けてやっていることになるのだ。

だから、なるべく穏やかに生きたい。小さいことでもすぐに沸騰してしまう私の頭の中の怒りを止めて、遮ってくれる人にも感謝だ。もし沸騰した怒りを誰かに投げてしまったら、その人以外の人に伝わって行く。怒りが誰かの人の体をキャリー代わりに歩き回り、伝わって広がっていく。地球を一周する・・・かはわからなくても身近なところに伝わっていくはずだ。分散してエネルギーが減るだろうか。きっと同じ量、どこかから私へ戻って来るだろう。イヤ~怖い。自分が出したものなのに、ご免こうむりたい。

ダラダラ書いてしまったが、今日の気分はこれなのだ。人の気持ちは良くも悪くも伝播してしまうのだから、社会を作っているのは全員で、どんな人でも影響し合っているってこと。何も成し遂げずに1日を終える人などいない。誰かの役に立ってんだよ。1日の中で自分の出来なかったことなんて、自分で決めた範疇でしかわからない結果だ。やったこと、やれなかったこと、その結果に大きな差はなくて、人に影響を与えたかどうかを問われたら何らかの影響を与えている。すべてのことを見通せるような人はいないから、きっととしか言えないけれど。結果を見て、自分でやれたからやった~と喜びがあるだろうし、やれなかった~と嘆く。それだけで十分、人に影響を与えている。喜びは「〇」嘆きを「×」と言う人がいるけれど、そんなふうに思わないこと。感情が生まれ、体験がそこにあるだけで素晴らしい人生だ。

イェ~イ。今日も上々。書いた言葉で自分の気分を良くする。投げかけた言葉が自分に本当に返って来るもんだな~。

では今日はこのへんで。